Selamat pagi

セキュリティのジムさん

ある日の日記から<日本人と世界>


 「Selamat pagi(スラマッ・パギ)」はマレー語で「おはようございます」。


 私たちが住むコンドミニアムはA棟からF棟まであり500所帯以上が住んでいる。写真はゲートのセキュリティキャビン、ちょうどこの時期正月の飾り付けが施されていた。右手奥がガレージ。
 彼らは常時5人程度が24時間交代で警備を行い、管理事務所に4人、庭師は専属で3人、清掃人も8人くらい、そのほか良く役目のわからない何でも屋のような人もいる。日本のマンションとは少し異なり管理は大変そうだ。プールとプールサイドの庭園があるせいだろう。
 コンドにはサウナやスポーツジム、バーベキューガーデンなどがあるが設備はどれもB級でよく不具合が起きる。二台あるランニングマシンの一台はいつも壊れているとか、サウナを使っている人をあまり見かけないとかそういったことだ。

 その管理に携わる人たちと毎日何度も顔をあわせているうちマレー語で挨拶したくなった。日本でも外国人が日本語を話してくれるとなんとなく微笑ましく感じる。ここにいれば私も外人。挨拶程度なら通じるだろう。すぐに本を読んで学習した。
 ある日の朝、街へ出かけるときゲートを通過する車の中からいつも顔をあわせているセキュリティに声をかけてみた。「Selamat pagi!」。一瞬驚いた顔をしたがすぐ「Selamat pagi」を返してきた。日頃他愛のない長話はしていたが、突然マレー語で挨拶をしたので面食らったようだったがすぐに笑顔に変わった。マレー語で言った後の表情をうかがうのが何となく楽しい。
 その後、その挨拶はすっかり定着した。庭師にも掃除係りにも手当たり次第に使った。彼らの返事は時折「Pagi!」と省略形になったりする。「おはようございます」に対し、「おはよう」という感じであるらしい。時には「Pagi、Pagi」と繰り返したりする。新しいおもちゃを買ってもらった子供のようにはしゃいだ、そしてだんだん馴染んでいく。言葉なんてそんなものかもしれない。


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 少し横道にそれるが、日本からここに来たときから、ほぼ100%のひとたちが「笑顔」を返してくれるのでとても感動的だった。街中で目が合ったりしたとき、にっこり微笑むと年齢・性別に関係なく皆にっこり「微笑み返し」をする。手を上げて挨拶すれば向こうも例外なく手を上げるかニッコリする、見ず知らずなのに。
 挨拶には寛容な国民性が如実に出るんだろうか、よその国の人間だからだろうかはわからないがはっきり言って日本とはぜんぜん違う。それが空港職員であろうが町の買物する主婦であろうが、警官だろうが学生だろうが…、全く分け隔てがない。日本ではうかつに知らない人といきなり挨拶は交わせない。「あんた誰?」、「何者なの?」、「何か下心でも??」、「少しおかしいんじゃない」、「何なんだよ!」、「キモい人」と警戒心が先立つ。その差は一体なぜなんだろうか?

 
 一般的に市民は高齢者と外国人に親切である。挨拶なら日本語で話せるマレーシア人は多い。「オハヨーゴザイマス」と言ってくれる人もいる。こちらはマレー語で相手は日本語。奇妙だがこの国らしいといえばそのとうりである。
 終戦後数十年して日本企業はペナン島に再上陸した。SOGO、YAOHAN、JASCO、ISETAN、TOYOTA、TO'RAY、HITACHI、SHARPなど、今度は戦争と異なりマレーシアへの貢献と協力を果たしてきた。ここペナン島には日本人がたくさん暮らしている。詳しくは知らないが彼らには彼らなりに土地に受け入れられ溶け込んできた努力と苦労があったことだろう。
 時々、我われ夫婦に声をかけてくれる年配者もいる。日本軍が占領していた頃の子供時代を語る。最後は必ず日本の「国歌」と「さくらさくら」を歌ってくれるパターンが多い。強制的に教え込まれたのだろう、その時代を思うと少し哀しい気もするが、中には「日本人は親切だった」「学校を作ってくれて感謝している」という人もいて外交辞令にせよちょっと驚いた。


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 ある日、行きつけのパソコン屋の店員に挨拶したときだった。彼らは挨拶を返してくれたがニヤニヤしながら時計を見ている。なんとなく空気がおかしい。
 「なにか変かい?」そういうと「Selamat tengahari(トゥンガハリ)がベターだ」という。「なにそれ?」「朝11時過ぎはそう言うのさ。それから昼休み後(こちらはpm2時までが多い)はSelamat petang(プタン)」。そういえば本にそんなことが書いてあったな。記憶力の悪い私は午前中はひとつで行けるんだろうと思っていたのだった。


 家に戻って再び本を開いた。「Terima kasih (トゥリマ カシ)」で<ありがとう>。それに対して「Sama-sama(サマサマ)」<どういたしまして>はセットで使う。「Selamat berkenalan(スラマッ ブルクナラン)は<はじめまして>で、「Selamat Tinggal(スラマッ ティンガ)」がさようならとなる。因みに、<新年おめでとうございます>は「Saramat Tahun Baru」という。


 ペナンには『すし金』という回転寿司チェーンがある。日本人の富豪が経営している。富山県出身の方で、父君が置き薬で成功を収めた方と聞いたが定かではない。看板には「Sushi King」と書かれている。うまい当て字を考えたものだ。
 店に入ると店員さんたちが一斉に「イラシャイマセ」という。少し発音がおかしい。「ラ」の後の小さい「ッ」がない。だから「イラサイマセ」と聞こえてまた楽しからずや。自分のマレー語もそんな感じなんだろう。
 こちらで長く暮らしている日本人の企業戦士とゴルフした時、彼はキャディーさんに「lapan(ラパン=8番アイヤン)ちょうだい」なんて言っている。ちょっとカッコイイ。


 それにしても小学校1年生から一部の教科を英語で実施しているだけに、街のどこでも英語が話されていることはすごい。前首相のマハティールさんの時代は特に英語教育に力点を置いていたようだ。従って最近の若者より年配の人ほど教科が多かったらしく流暢に話せる。おおかたの日本人は大したものだなぁと舌を巻く。道端でドリアンを売ってる人、屋台のおばさんがごく普通にマレー語・英語・華人語を操る。


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 一方、日本では英語を必要としない。仕事か何か必要に迫られた一部の人以外、一生日本語だけで何の不自由もない英語不要国なのである。角度を変えてみればそれだけ感覚的にも世界規範についても、国際的スタンダードからそれなりの距離を持った島国ということに他ならない。文部科学省が小学校から少しずつ英語教育を始めようとしたら、「英語よりももっと日本語をちゃんと教えろ」と数人の著名人が言った。「国語」の研究でメシを食ってる大学教授と、文学者のはしくれの東京都知事だった。日本ではこのレベルでも文化人(学者)、政治家が勤まることを知り大いに落胆したものだった。


 でも圧倒的多数の日本人はそれさえ気にしてない。来年の鎮守様の当番は誰だとか、この間の町会の仕事に誰それが来てなかったろうとか、あそこの娘が離婚して実家に帰って来てるなどと言いながら一生を過ごす、それで実際は何の問題もない。
 「日本人は日本に生まれ、日本人として死んで行くんだからそんなの関係ない」と意味の分からないことをいう人も多い。これからは環境・平和・食糧・医療・資源・宇宙等々で世界的な協調をしていかなければ国が孤立する。


 つまり、これからの時代は<日本の常識=世界のヒジョーシキ>と言われそれだけでは将来立ち行かなくなる。未来永劫に『井の中の蛙』ならぬ『小さな島のイエローモンキー』では生きていけないのである。何より若者がそれを感じ、最近特に行動を起こしていることは喜ばしいことである。特に経済や国際交流のみならずスポーツや音楽の分野は顕著である。
 とにかく、いかに戦後の経済的急成長はあるにせよ、ゴルフの全英オープンが始まった時代、日本では井伊直弼桜田門外で切り殺されていたわけだ、この歴史的文化の差を直視して、言語だけではなく世界を学ぶことが大事である。その意味では海外で一定期間暮すという体験は無駄にはなるまい、欲を言えばできるだけ若いうちが良いのだが…。
 そうすれば本来世界的に優秀な日本人の理性も感性も特段に磨かれ、日本古来の伝統的文化は光を増し、世界のリーダー的な資質が存分に発揮されるだろう。日本には日本の生き方があり、なにもアメリカのようになることはないしなれないだろう。しかし、世界にシンクロして将来を見据えなければ国家としてのバリューはない。


 日本という国は徹底的に閉鎖された国家だから、一般民衆は都合の悪いことは知らされず一部の人間が自己利益のために牛耳ることができるという稀有な構造を持っている。国中を覆うシェードの中にいるのにミャンマーの軍事政権がスーチーさんを軟禁することを非難する、自国がでっち上げのメディアに踊らされつつも、ロシアの国家的報道管制に眉をしかめる。良いことと言えば単一民族の単一思考に誘導されているから、東南アジアのどこかの国のようにクーデターが日常的にならないことくらいだろう。


 ペナンはジョージタウンの人ごみに行くとマレー語に混じって、中国語・ヒンドゥ語・英語・タイ語タガログ語などなど多種多様の言語が飛び交う面白い町だ。