信じられない出来事

生存者を運ぶ市民たち

津波から3年


 人生であれほど悲しい災害を、あれほど真近に接したことはありませんでした。
 あろうことかペナン島で住んでいた自分たちのコンドミニアムの眼前で起こったのは、スマトラ島震源とした「インド洋大津波」でした。2004年12月26日のことです。運が悪いことに日曜日、しかも地元の市民がたくさん海に入るピークの時間帯でした。{TSUNAMI}そのものの概念がない人たちは、それがどれほど危険なものなのか知る由もありません。不幸な出来事はこうした相乗的な悪条件が重なって起きたのです。
 私がその日に自分のサイトから発信した記事がありました。あの日にペナン島や日本国内を含め、日本語で出された情報でこれより早いものはありませんでした。しかし、その甲斐もなく数十名の方が亡くなってしまいました。本当に残念です。事故が風化せず亡くなった方に改めて追悼の意味を込め再掲します。(今改めて読んでみると、急いで書いているせいか文脈がかなり乱れています)

<悲惨、痛恨の津波発生>
(記事の初稿=26日午後4時25分ーーその後時間の経過で追記しています)
 こんな悲しいことが目前で起きるとは信じられない気持ちです。津波による死者がペナンでも発生してしまいました。邦人の被害は確認されていませんが、今後に課題や問題を残しそうなので緊急の報告を掲載します。亡くなられた方には心からのご冥福をお祈り申し上げます。
 
 26日、インドネシアで午前中大規模な地震が発生しました。
 米国地質調査所の観測では午前10時頃(日本時間)インドネシアスマトラ島の沖合を震源とする強い地震が相次いで発生し、大規模な津波がインド洋の周辺各国に到達した。震源スマトラ島の西方沖で、震源の深さは約10キロ、マグニチュード(M)9.0ということです。この規模の地震は40年ぶりで、1900年以降5回しかなかったものです。
 『追記(同月28日深夜)ーー現在で5万人を超える死者を出す大被害は、1896(明治29)年の明治三陸地震(約22,000人死亡)を上回り、地震による津波として史上最悪の惨事となったといわれています』。 

 ペナンの情報が少しずつ入ってきました。私たちの目の前の海岸で12人が死亡。現在も海と空から捜索中。私自身も数体の遺体がビニールシートに包まれているのを確認しました。
 また救急車も酸素ボンベなど事前の準備が十分ではなかったり、救急車ではなく消防自動車も駆けつけていて現場は大混乱をしています。またこの現場を通り過ぎていく救急車がたくさんあります。北部のホテル街の被害者の救助に向かうものと見られ大変心配です。
 とにかく今回の事故は不運が重なりすぎました。第一に地震に対する準備は、大きい地震が国内ではほとんどないだけに、大地震に対する備えはほとんどなされてなかったものと見られます。
 第二に小中学校が年度末の大型休暇中の上、日曜日でたくさんの家族連れが来ていたこと。今日は好天で時間もちょうど昼過ぎ。
 第三には情報の伝達の悪さでしょうか。この現場は午後2時頃、第一波の津波がありました。海岸に数百人はいたと見られる人たちは、予告もなく訪れた1メートル以上の津波に驚きパニックになり、引いていく潮に沖へ持っていかれたものと想像されます。家族連れで楽しんでいたというさなかの事故は考えただけでも胸が痛くなります。
 
 また、地震による建物の揺れは場所によって感じた方もいるようです。ジョージタウンの真ん中に住む方ではっきり感じたといっていましたが私のところはまったく気づきませんでした。もちろん、高層のビルの倒壊は聞いていません。海際の木造建築で何軒かは津波にさらわれたと言う話しも聞いています。先週の表紙に出ていた海鮮料理のレストランは大きい被害にあったそうです。道路が一部通行止めになっていますが詳細は不明です。
 
 写真の左は混乱するバトゥ・フェリンギの現場で生存者を救急車に乗せるところです。中央は第一波の津波が去ったあと海岸に打ち寄せる泥交じりの高波です。後で考えると大変危険な場所でした。写真右は第一波の津波を高いところから撮影したものです。上から見ても波が生き物のように浜を目指して襲ってくる様子が伺えます。
 冒頭に書いた課題にすこし触れておきます。私は問題提起する立場にありませんのであくまで個人的な感想です。
 まず、ペナン州の危機管理体制に大変な不安を持ちました。今もサイレンを鳴らして走っている救急車自体がパニクッているようにも見うけられます。なぜ、4時間以上前の大地震に対する緊急連絡はできなかったのでしょうか?


 そして、もうひとつ、今度は日本側の問題です。今(26日深夜0時)になるまで総領事館からの緊急連絡は入っていません。一つには日曜日ということがあります。それは理由にならないでしょう。
 在留届(メールアドレス)を出しているのに、過去に<デング熱に関する緊急連絡>というのが9月22日に日本人会を通じて届いただけなのです。一体どこまで機能しているんでしょうか。
 先ほどKLの知り合いから緊急電話が入りましたが26日朝には大きく揺れたという話しです。ペナンでは揺れを強くは感じませんでした。しかしそのとき日本大使館(またはペナン総領事館)は即座に対応はできなかったんでしょうか?安否に関する調査はまだされていません。
 

 『追記=(27日午後7時56分、同日本時間午後8時56分)ペナン総領事館から安否確認の電話が入りました。少ない人数なので大変なんでしょうが、なぜ35時間も掛かるのでしょうか。地震のことでインドネシアから情報が入らなかったからと言い、途上国の特徴と言っていましたが分かっているのになぜ対処しないのでしょう。確かに地震の情報交換システムが遅れていることは知っていますが伝達に工夫がありません。インターネットのネットワークを薦めましたが消極的でした。もうひとつ、マレーシア政府には海岸にサイレンのような警報システムを設置してもらうようお願いしていきたいと思います。サイレンひとつで人命が助かるかもしれないからです。
 また、私は日本人会に属していますがいま現在、何の通知もありません。蛇足ですが先ほど今日の6時から9時の間に余震と津波があると言う噂が、ペナン日本人の間でまことしやかに流れてきました。一体誰が予知してくれたんでしょうか?ノーベル賞ものですね。少人数社会の特徴ですが、海外に出ても村社会を作る国民性は実に由々しきことです。(結局根拠のないデマでした。その後の余震も津波も幸いありませんでした)』


 痛恨の極みは、<もし、私にでも即刻連絡が入れば、私の家から海岸までわずか3分。私はあらん限りの声で『海から上がれ〜、海から上がれ〜』とでも非難を呼びかけられたのだ>と思うとなんともやるせない気持ちになります。その情報さえあれば多くの尊い人命が救えたかもしれないのです。


 改めて津波で亡くなった多くの方のご冥福をお祈りいたします。