大手新聞研究会 〜 総論

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 新聞とは言論の自由をペンの先につけて振り回す権力である。発行する側から見れば世論を牛耳るためのツールだと言えよう。あらかじめ本研究会で取り上げる「新聞」とは、全国紙主要4社に限定しておくことをお断りしておこう。
 新聞は現在、大きなターニングポイントに直面している。かつては正義を貫き民主主義を必死で守り、相当程度その重要な社会的役割を果たしてきた。戦後日本の成長にも大きな貢献をしたことは間違いないと考察する。
 しかし最近の約30年は、年代が低いほど活字離れが進み、購読者の平均年齢は上がり続けている。さらにコンピューターの普及率と新聞購読率は明確な反比例状態を続けている。そればかりか、近年地球温暖化の急速な悪影響が環境保護という地球規模の課題に直面し、紙資源確保のために伐採される森林は途方もない本数を記録して問題化している。このように新聞は好むと好まざるにかかわらず、過去に経験し得なかった三つの大きな敵と闘わねばならなくなった。これはかつての民主主義の旗頭という存在から、企業の存続、生き残りが最優先する時代になったということである。これからは読者を遠く離れた戦いに突入していくだろう。


 10月1日、朝日新聞日経新聞・読売新聞の三社は、インターネットでの共同事業、販売分野の業務提携などで基本的に合意し記者会見した。会見の冒頭、杉田日経新聞社社長は「真のニュースの発信元である新聞社の影響力を一層高めると同時に、各社の販売政策を尊重しながら配達共同化を段階的に拡大する」と説明した。戦後の新聞界が大きく舵を切った瞬間だった。なぜ業界の老舗、毎日新聞が入っていないのかということは後日触れたいが、彼らの一つの方向性を探るヒントでもある。
 席上、<戸別配達網を守るため>、<言論活動の基盤を強化>、<健全な(販売)競争を制限するものではない>との発言が相次いだ。これはまさに裏腹で、大同団結して経営危機を乗り切ろうという風にも聞こえる。そもそも、『ネット事業を共同でやることで新聞を維持する』とは全く矛盾した発言で理解できない。すでに読者を民主主義というバリアで守ろうというより、単に購読料を払ってくれる民衆という置き換えになってきたのだろうか。特に、戸別配達網を維持するということをわざわざ重ねて言うことは、私にとってそっくり逆に聞こえる。“もうこれからはネット社会と闘うため、紙に印刷して原始的な方法で個別のポストに配ることはできなくなった”と本音を言ったほうがいいと思う。今回の合同記者会見は「紙の新聞からネット事業化する」と私には聞こえた。
 3社が部分的にせよ手を組む方向に走り始めたのに、各社の競争を制限しないというのも意味不明である。詰まる所無駄な競争経費は省こうという、クリンチか寝技かは知らないがそれだけのことではないのか。現実に「ネットの活用と山間へき地などでの販売所の相互乗り入れを進める」と発表し、利益が出しにくい過疎地から撤収を始め、徐々に各社間の統合整理を始めるともとれる。もっとも急ブレーキは暴動という思わぬ事故につながるかもしれない。時間をかけソフトランディングを試みているのかもしれない。


 考えれば明治時代以降、新聞をここまで支えてきたのは街の新聞販売店である。かつては3Kなどと揶揄され常に変化する厳しい環境や労務難を乗り越え、決して社会的に高く評価されない地位の中でも人材の確保を果たしてきた。深夜の2時3時に起床して冬の暗い雪道を、手の感覚さえなくなる状況でも配達員は懸命に従事してきた。雪で転倒して骨折した配達員が必死で読者に新聞を届けた実例もある。本当の苦労をしたのはたくさんの従業員さんたちである。神戸や新潟のように、地域によっては地震直後でも余震情報や避難の状況を知らせようと瓦礫の中、危険地帯を届けたこともあった。過去は新聞社の功績ではなく、こうした地道な努力に支えられてきたのである。
 新聞社は新聞拡張団やその販売店に不都合なことがあるごとに、当社とは直接関係ない契約先販売店または拡張団の事件に過ぎないというコメントを出してきた。しかし、好都合なことはすべて発行本社の功績であるかのように言い、配達員の苦労や美談をその時に応じて読者に情緒的に利用してきたことも事実である。そして、ネット社会に直面し部数が頭打ちになってくると、その大事な販売店を統合整理し販売会社制に転換し、不要になる販売店の整理を図ろうという意図でもあるのだろう。近未来、つまり商売にならないさらに足手まといになれば地方のお店(販売店)を廃店しネットに移行させたり、首都圏(または昔PHP携帯が出始めたころそれが使えたごく一部地区のように)のみ宅配維持、それどころかさらに将来首都圏さえコンビニのスタンド販売に移行するという遠大な構想を浮かべているかのような危惧さえ感じられる。もしこの推測が当たるようなら、賢明な読者はやがて違背するに違いない。


 昨今の新聞は国を覆うブラック・ミスト(黒い靄)である。「新聞を読む」という長年先達が培って築き上げた<習慣>に甘んじて業を成している。似た形態でNHKがあるが、こちらも50万件を超える不払いが出て苦しむという、以前には考えられない状況も出てきて時代は大きく変わろうとしている。
 一体ダッチロールを始めた新聞はどこへ行ってしまうのだろう?ネットで<新聞の苦情やあり方に対する不審>を探すと、読み切るのに何週間掛かるかわからないほどの情報に溢れている。(かなり核心を突いているサイトもなかにはある)新聞が権力を暴力に変え始めた昨今の<NOW>をこれからの各論で研究していきたい。