村八分が裁かれる列島

里の風景(サンプル)


 目茶目茶忙しかった。食事のとき以外はゆっくりできなかった、、といっても仕事なんかじゃないんだけどね。たとえばゴルフの練習場とかで、しかし、散歩もできないという切迫した時間の使い方はいかん。
 それにしても今日は最高の秋の日だった。すこし外で動くと暑いくらい。今年の冬は暖冬らしい。冬が暖かいのは寒がりの私にとってグッド・ニュースだが、じわじわと温暖化包囲網が現実のものになっているかと思うと肌寒いものを感じる。


 肌寒いと言えば、新潟県関川村の住民数人が、集落の行事に参加しなかったことを理由に、ごみ集積所を使わせないなどの「村八分」行為を受け、不利益を被ったという事由で司法に訴えた裁判のトピックスがあった。東京高裁は「ごみ集積場を使わせないことなど、村八分以前の問題で違法」と断罪し厳しい判決文を読み上げ、行為にかかわった地区長らに220万円の罰金刑を言い渡した。全く肌寒く、いやいや肌寒い程度ではなくて心の底まで冷える話だ。原告は「今でも村八分は続いている。団結して村の平和を取り戻す」と語っていた。
 私はこのニュースを読んで字ズラ以上に問題は大きいと感じた。「やっぱりニイガタの田舎の話ね〜」という人たちである。日本という国の底流にはこれが流れている。これは形態こそ違え、どこにでもある話なのだ。首都圏の町会レベルでも年間予算が500万から800万円ある地域は結構ある。ガラス張りで健全ならそれでいい、しかしそんな町会ばかりではない。また、町会という地域社会のみならず、会社社会だって厳然とそれはある。でもカネやいじめの事実を追求する人は少ない。地域には近所の眼、会社には大勢の愚者を相手にしなければならないという見えないチカラに恐れるからだ。正面から立ち向かう人には極めて居心地の悪い椅子が用意されている。ニーチェはたしかに「最高の善なる悟性とは恐怖を持たないこと」とは言ったが…。
 私は東京に住んでいた頃、当初は外側にいて無関心だった、とにかく言われたまま町会費を払っていた。時がたちその組織の中に入って金の使途を知ったとき目を丸くした経験がある。いずれは詳細を書きたいがレベルの低さは空前絶後である。地域の名士たちが飲食に流用し、あるいは100円単位をかすめ取るのである。これが町内会単位をはじめとして、実は日本は「村社会のムラハチブ」という慣習を上手に利用する大きな組織がゴロゴロある。加害者と被害者が一人二役のようにバランスを取っているのは、月が地球の引力と遠心力で絶妙な均衡を保ち、落ちてこないのとよく似ている。この奇怪な均衡があるひとつの組織について明日から研究に入りたい。