地震の話

Building in Penang


 「地震」は怖い、ものすごく怖い。私は人一倍臆病者だが、たとえそうでない人だって日本人なら居心地の悪さは似たようなものだろう。台風直後の河川の濁流のように、超過剰な情報が流れている世の中に、地震予知だけはまったく例外で、ほとんどフォーキャストがないと言ってもいいくらいだ。できることなら他のくだらない情報(たとえばテレビの民放が昼間垂れ流している類の)を一山いくらで地震情報とバーターしてもいいと思っている。台風のように3日後にはどこでどのくらいの勢力があってどっちへ向かって進むだろうとまではいかないでも、なんとか2日前くらいに分からんもんだろうか。いつ自分の地域が、あるいは首都東京がなどという被害妄想も意識的には途切れることなく自分の中にはある。
 12日にインドネシアスマトラ島マグニチュード8.4という地震があった。今年はその周辺で3月、5月にも中規模の地震が起きている。2004年12月26日のスマトラ島沖大地震での死者は合計で226,566人(翌2005年1月19日時点)という信じられないほど多くの尊い人命を失い、その中に日本人も40名含まれていた。折しも私はペナン島に住んでいて、コンドミニアムのバルコニーから目の前で津波が押し寄せるのを息を止めて目撃した。このときはマグニチュード9.3という巨大地震で、およそ1,000km以上にわたって断層が走ったと言われる。津波スマトラ周辺では最大高さ34mを記録したそうだ。ペナンではそれほどではなかったが数十人が亡くなったり行方不明になった。日曜の午後で海にいた人が多く、しかもマレーシア人にとって津波など経験した人は少ないから、水平線から押し寄せる白い波にその意味が分からなかったのが災いした。津波については学校の授業でも教えているかどうか定かではないし、当時は津波警報というシステムさえなかった。(ペナン島は実際地震ではなく津波だけの被害だったと言っていい。しかし、日本のメディアはほとんどが地震とパラレルな伝え方をしたので、それが二次災害になり観光業者はその後苦しむことになる)
 日本の地震では怖い思いを何度もしてきた私は、正直ペナン島に移住直後、少しはその恐怖から解放されたかなという甘い思いは若干あった。だから津波に遭遇した時はそれもフッ飛ぶくらいの恐怖だった。
 その恐怖には伏線があった。私がペナンに移住した頃は島中が極めて高速の経済成長のさなかで、次々に高層のコンドミニアムが立ち並ぶ建設ラッシュだった。(今はもっとすごいらしい)私は否応なしにそれらの現場を毎日眺める。それが不安のもとになった。私は間借りなりにも建築士(2級)を持っているし建築業界の経験もあった。だから、ペナンで建てるSRC(鉄骨鉄筋コンクリート)の構造体の薄っぺらさに驚いていたのだ。地中梁から柱、壁、床、、とどれをとっても「えっ、これで30階を!??」という具合である。正直足が竦(すく)む思いだった。
 もちろん解ってはいた、日本のような地震国とは異なる島であることを。過去数十年大きな地震の記録もない、これからも未来永劫にないかも知れない、いやないことを祈る。でもどうしても自分の頭には日本の建築の経験的、習慣的観念があった。日本はそれなりに構造など地震に備えているがマレーシアではほとんど考慮されてない。それがビジュアルに見えてしまうから怖さは強烈だったのだ。仮に震度3クラスが来てもあの構造では持たないかも---などと根拠のないことが頭をかすめて勝手に怯えたのである。
 考えてみれば地震が怖いのは世界中どこに住んでいたって同じことだ。その点日本人は耐震的な備えと心の準備ができているような気がする。地震がしばらくない国では、ない国なりの怖さがある。昔から<地震・雷・火事・親父(おやじは本来、低気圧が作る強い風雨で「山嵐(やまじ)」と呼ばれていた言葉が訛ったもの。因みに台風は大山嵐(おおやまじ)>と、怖いものの筆頭には地震が来ていた。とにかく備えと言えば日頃の心構えしかできない地震が、日本であれマレーシアであれ世界のどこであれ、発生しないことを祈るばかりである。