穏やかな夕方は「野球」が良いね

自由な少年の「野球」

自由で自由な少年たちの遊び


 『野球』をした。何十年ぶりに…。いや、『本来の野球』をしたと言ったほうが良いかな、散歩の途中で芝生広場にいた少年を相手に。少年たちは全部で4人、「何年生?」と聞いたら「三年生!」という答えがコーラスのように返ってきた。 

 「あのさぁ、おじさん野球しばらくしてないんだ、仲間に入れてくんないかな」、私はオズオズと申し出た。少年たちは「いいよ!」と快諾してくれた。私は本当に野球がしたかった、彼らが遊んでるのを見て心から羨ましかった。
 いつも行く散歩コースの一つに一周600メートルほどの遊歩道に囲まれた芝生広場があり、テニスボールのような柔らかいものならボールゲームも許されている場所である。硬式のテニスボールで遊んでいるたまたま見かけた少年たちと私は仲間になることができた。
 ホームベースはない、バッターが構えた位置がソレ。1塁から3塁までのベースもない、そこにいるのはピッチャーとバッター、内野(普通は)と言われる位置に守備というより玉拾いに任じるひとりと、バッターから数メートルも下がった場所にいるキャッチャーのような少年だけ。バッターになった少年が私にグラブを貸してくれた。久しぶりに嵌めたグラブに私は胸がドキドキした。
 4人の中で最も野球センスの良いと感じさせる少年が投げ、他のメンバーは交代でそれを打つ。打ったら何となく一塁方向に走る。走ってもそこまで、ボールはランナーを無視してピッチャーに還る。それが延々と続く。
 私が4人の中で一番小柄な子供に、「これは盗塁のないゲームだね」というと「トールイって何?」という質問が帰ってきた。その瞬間、私は子供たちをものすごく愛らしく感じた。
 芝生広場の各所ではサッカーボールを蹴る少年の姿が多く目に付いた、自分の少年時代と違う光景を改めて確認した。

 この二か月ほとんど休まずに歩き続け、足腰が40代くらいに戻っているのを感じている、やや穿った見方だが…。実際、歩くよりジョギングに変更している率も高まっている。足腰は実に好調だ。
 その自分が、少年たちと野球をした。少年の打ったボールが私の足元を抜けて外野に転がった瞬間だった、、、私はものすごいダッシュでそのボールを追っていた、自分のどこにそんなエネルギーが残っていたのか考える暇もなかった。若い時分野球をやっていた本能が目覚めた瞬間だった。いつもは足を気にしながら走っているが、あんなときは自分に内在している反射神経がすべてを支配することを知った。

 冒頭に「野球」をやったと書いたが、これを「野球」と聞くと、正岡子規糸井重里やいわゆる野球通などフンと笑うだろうな、、「それは野球とは言いません」って。でも、大人が変な決まりごとや規則や意味のない常識を持ってるだけで「野球」といってもいろいろあるんだ。私は少年たちのおかげで規則など大空の彼方にあり、こんな楽しい何物にも束縛されない自由な「野球」があることをいまさらながら知らされた。