棟方志功

『祥雲』



 富山では友人の家に泊めてもらった。友人は浄土真宗の住職を務めている。8畳から12畳の和室がいくつもあり、着いたときはもうストーブが赤々と燈され部屋は南国のように暖かかった。

 食事の後、友人が大切そうに箱を持ってきて開けて見せてくれた。中には写真の軸が入っていた。こんな真近で棟方志功の書を見たのは初めてだったが、出会い以上にその力強さと迫力に圧倒された。20世紀の美術を代表する世界的巨匠がまさに息づいていた。
 氏は青森県に生れ、少年時代にフィンセント・ファン・ゴッホの絵画に出会い感動したという。その感動がそのままそこにあった。
 氏はのちに池田満寿夫が賞をとったヴェネチア・ビエンナ-レ国際美術展に「湧然する女者達々」などを出品し、日本人として版画部門で初の国際版画大賞を受賞、版画を「板画」と呼び、木版の良さをフルに引き出した。20世紀前半で、これほど生命力、躍動感に溢れた力強い傑作をたくさん生み出した芸術家はほかにいない。


 聞くところによると、その棟方志功第二次世界大戦富山県疎開して浄土真宗に傾注していた。そのころ友人の父が書を書いてもらったということだ。今でも書法展や棟方志功展があるとこの軸を借り受けに来るという。

『自分というものは小さいことだ。 自分というものは、なんという無力なものか。 何でもないほどの小さいものだという在り方 自分から物が生まれたほど小さいものはない。 そういうようなことをこの真宗の教義から教わったような気がします。』と言った記録がある。子供たちの道徳心を欠いた行動、それを指導する親や教師の欠如、次々に報道されるなりふり構わず偽装して利益をむさぼる企業、金のためなら平気で人を殺める大人たち、、、、私もこの荒廃した時代にこそ、真宗の教えが必要なのだと確信した。