象を狩りしたわれわれの祖先たち

ナウマンゾウ



「お〜い!ゾウがいたぞーー!」
「男どもは石ヤリをもってすぐに集まれぇ、もちろん石斧も忘れるな!」
「1週間ぶりの獲物だ、逃がすんじゃないぞ」
「よ〜し、二手に分かれて挟み撃ちにするんだ」
「この前は仲間が彼らに踏み殺されたから、こんどは慎重に狩りをするんだぞーー」
「よーし、しっかり捕まえろよ、、これで100人分の食事が確保できるんだ!」


 5〜9万年前、いわゆる旧石器時代の日本各地でこんな会話があったんじゃないかなと想像しています。

 獲物になる象は「ナウマンゾウ」です。背丈が3メートル弱で、今のアジアゾウより一回り小さかったそうです。しかし牙は非常に立派で、今のものより大きかったとされています。彼らは氷河期の厳しい気候に順応するため、十分な皮下脂肪があり全身は体毛で覆われていたと考えられています。

 日本の各地でというのは、1921年には浜松市の工事現場で、千葉県印旛村では骨格の化石が1966年に、北海道忠類村で1969年と牙・臼歯・下顎骨の化石などが発見されただけではなく、日本各地から断片化石が見つかっていることでこのゾウの存在が裏付けられています。こうした形跡からナウマンゾウは当時の人類の狩猟の対象であったことは間違いなさそうです。
 

 先日、長野県の妙高高原付近を走っているとき、道路わきに写真の「ナウマンゾウ」の彫像を見つけました。長野県信濃町野尻湖畔からはナウマンゾウの化石と共に、旧石器時代の石器や骨器が大量に見つかっており、それを記念してのことなのでしょう。
 そもそもナウマンゾウの名前の由来は、明治政府が雇っていた学者の名前(ハインリッヒ・エドムント・ナウマン: 1854年-1927年)に因んだとのこと。ナウマンゾウなどのように大型の動物の歯や骨の化石は、古くから収斂薬、鎮静薬などとして用いられ、正倉院には「五色龍歯」(ごしきりゅうし)と呼ばれるナウマンゾウの臼歯の化石が宝物として保存されているそうです。


 極寒の気候に耐えるため体が厚い皮下脂肪に覆われていたということは、結構脂身もあったんでしょう。エスキモーたちは今でもオットセイを撲殺して食料だけではなく生活の雑貨まで賄っています。もちろん必要以外の狩りはしません。特にその油は貴重な資源だと聞いています。動物を愛護するのとはまったく別な次元の話です。
 以前はこの時代の日本は大陸と陸続きだったと言われてきましたが、最新の学説では対馬海峡は大陸とつながっていなかったという説が有力です。となると大型哺乳類は氷の上を伝ってきたんでしょうか?そしてそれらを追いかけて人間もこちらに移動したという可能性もあります。ナウマンゾウは日本を代表する氷河時代のゾウで、化石が発見されている場所は日本と中国の約180箇所以上が確認されています。


 歴史には無知ながら食いしん坊の私は、ナウマンゾウがどんな味だったのか興味が湧いてきました。それにしても、ゾウを狩りする勇壮な祖先たち、一度この目でその様子が見られたらどんなに素晴らしいことでしょうか、まぁ、ムリはムリなんですが…。