どこか遠くへ 〜 もの寂しい秋

公園に秋の人影




  今日も例によっていつもの公園をいつものペースで散歩して、写真のような「若い紅葉」を見ることができました。これはこれで良いものです、手前に恐竜の影のようなものが写っていますが、撮影者自身のものです。私もこの素晴らしい紅葉イベントに参加してみました。<秋の日はつるべ落とし>と言います。山に隠れてしまう直前の夕日が、まるでオレンジ色のフィルターを掛けたかのような光線を送ってくれました。


 昨日の日記を書いているころから、なんだか秋のモノ寂しげな空気に誘われて遠くに行きたくなってきました。どこか、そう、たとえば日本海のきれいな夕陽なんか良いですね。


 人によりけりなんだと思いますが、海外にしばらく住んでいて帰国したあと、すぐまた行きたくなるタイプと改めて海を越えるのが億劫なタイプと分かれるようです。そもそも出不精な私は、海外に行きたい地域はちょっとだけあることはありますが、今は日本に腰を落ち着けて「にっぽん再発見」を実践したい気持ちが勝っています。
 外に出ると日本の良さがよく理解できるというのは全く当を得た言い方だと思います。しかしその反面、残念ながら悪いところも見えてしまうのは仕方ないところでしょうか。

 それにしても日本の秋は好きです。日に日に色づいていく公園の樹木は美しいの一言です。もちろん、ほかの国にも紅葉はあり目に沁みる美しさも少しは見たことがあります。特に記憶にあると言えばシドニーの街とカリフォルニアのヨセミテ公園でしょうか。やはりお国は違えど秋はもの寂しいものです。


 そんな秋の早朝、稲尾和久さんが亡くなられました。最近もマスターズ・リーグなどでご活躍されているということしか分かりませんでしたが、突然の訃報にいちプロ野球ファンとして驚いています。我々の年代の野球ファンで西鉄ライオンズの稲尾投手を知らない人はいません。
 たしか、故郷のご実家が漁師ではなかったと記憶しています。それは、稲尾さんの手首は船の櫓を手で漕いでいたため強くなったという話を聞いたことがあったからです。
 たったひとシーズンで42勝を挙げ「鉄腕」の異名をとり、20連勝や3年連続で30勝以上を挙げたなどというかけ離れた記録は忘れようとしても忘れられません。
 1958年は少年だった私も、ラジオにかじりついて聞いていたことをよく憶えています。この年の西鉄対巨人の日本シリーズでは、稲尾投手が3連敗後の4連投で4連勝しましたが、この3敗のうち、2戦は登板していました。結局このシリーズ6試合に登場したんですね。今の100球システムを考えると隔世の感があります。


 あの外角に鋭く切れていく独特のスライダーが永遠に見られなくなったことと、西鉄ライオンズの幕が完全に引かれたことが宣言されたようで、ますます物悲しい秋になってしまいましたネ。