エデンの東

Zurezuregusa2007-10-07


 先日、最近の映画はつまらなくなった、と書いた。理由は内外ともにいろいろありすぎてここに列挙する気にもなれない。
 今日、レンタルビデオの「エデンの東」を借りてきた。また観る、もう何度目だったかもわからない、また感動する。良い作品は何度見ても色褪せないことが条件かもしれない。つまらん映画は一度で飽きる。

 私がアダム・トラスクに似ていると言えば、男の子を二人持っていることだけだ、もっとも彼は双子だったが。60を過ぎると、子供のことが気になり愛情も深まる。その分男の子は父を離れていく、ちょっと寂しいがいつまでもべたべたくっついていてほしくはない。つい映画を見ると自我関与してしまう。
 エリア・カザンの脚本では生真面目な兄に獄門に近い仕打ちを与える。行動的で野放図で父が手を焼いた次男は、結局皮肉な形で父の愛を独占できた。彼は死に近い病床の父に嬉々として看病をする。そこまでドラマティックではないにしろ、国がどこであれ兄弟の性格的成り立ちはどうも似たところがある。父親という生き物の愛情はビア樽ひとつと決められている。長男誕生で有頂天になり、酔っ払って樽の酒をほとんど飲み干してしまってから生まれた次男は、父の愛情に飢えることになるのは成り行きなんだろうか。かく言う自分も次男だが父親が持つ男の子への愛情は、殺伐とした雪原の岩の間に湧き出す温泉のようなところがある。
 「カインは立ってアベルを殺し、カインは去ってエデンの東、ノドの地に住めり」カザンはこの旧約聖書の一説からこのドラマを描いたという。映画の終りのほうで保安官がキャル(ジェームス・ディーン)にそう言い、お前は去れと諭す。キャルは触れなければなんでもない人間関係を破天荒な行動ですべて破壊してしまった。そして一歩も歩けなくなった父の住む町を一時は出る決心をする。私は信教を持たないでこの年まで生きてきた。宗教がどうあれ一般の社会であれ会社組織であれ、人が人を信じること、真意が相手に通じること、なかなか容易ではない。ただ、映画の中の登場人物以上に私とて真実を知りたいという願望は人一倍持っている。しかし宗教心を持つ者は真実への探求心がより強く、それは確実にプラクティカルな要素として存在してるんじゃないかと思ってしまう。もっとも、比較的宗教心の強くない国民が、玉虫色の空気の中でお互いに寄り添い、傷を舐め合って仲良く暮らすことだってあるのかもしれないが。