GOLFを誤解している人たち  後編

ゴルフは…


 私は先輩に恵まれゴルフに関わる知識を授かった。しかもお酒と四季折々のおいしい肴つきときた。これ以上の喜びはなかなかあるもんじゃない。そもそも、文化度の高い話より酒と食べ物に滅法弱いタイプなのだ。ゆったりとした語り口で教えていただいた先輩の話より、うまかった肴の方が記憶に鮮明だった。もちろんこのことは先輩に内緒だが…。ムニャムニャ
 あの頃は若くて何でもおいしかった。飛び上るほど魚のうまいて安い店があった。生まれて初めて口にするものもたくさんいただいた。記憶に残っているものでも初夏のころ食べた鰊(ニシン)、ニシンそのものは初めてではなかったが、それまでとものが違って丸々太って脂がノッテて、塩焼きなんかビールと抜群の相性だった。身欠きニシンの蕎麦のおいしさにも文字通り舌を巻いた。ずっと後に北大路魯山人の題名は忘れたがある著書に、「煮たもの焼いたものはさほどでも無いが、乾物を水でもどしたものを上手く料理するとたいへん美味しい」というようなことが書いてあった。これはニシンの話だけではなかったが納得いく話である。秋は焼いた松茸(なんだか今よりずぅ〜っと安かったような気がする)に焼酎、冬は熱燗に畳イワシと寒雀、春先には・・・、何の話だったけ?
 まさに雌伏1年、私はついにコースデビューを果たした。でも最初は杉田にある(今あるかどうかわからない)ミニコースだった。ほとんどパー3でたしか9ホールだったような気がするが、なんせ34年昔のことで曖昧だ。たしか2度目から三回くらいは葉山国際でその後は厚木、平塚、相模、伊勢原など横浜周辺のコースへ次々に連れて行ってもらった。---余談ですが、あのころ葉山の海が見える見晴らしの良い丘に、建築途中で中止した黒い亡霊のような建物がふたつあったのを妙に覚えている---
 ゴルフは楽しくて仕方なかった。やればやるほど好きになり、いつもゴルフのことばかり考えて過ごした。先輩にじっくり時間をかけて基本を教わったおかげで、当時の格式あるコースに行ってもなんら戸惑うことはなかった。振り返ってみると最低週2回ペースで練習場に通い、延べ45週間に平均200発打ったとして18,000個のボールを打ちっ放したことになる。途中、練習し過ぎて腰を痛め2週間くらい医者に通ったこともあるから正確な数字は分からない。もっと打ったかもしれないし少なかったかもしれない。いずれにしてもよく頑張っちゃったものである。あの頃は夢中だったからそんな数字的なことは眼中になかったが…。とにかくおかげさまでというか努力の甲斐あってというか、その両方でデビュー当時からそこそこのスコアは出せた。
 顧みればこの35年間、ゴルフライフではいろいろあった、どれも楽しい思い出ばかりである。自慢するつもりなどさらさらないが、まだ18歳くらいだったえなりかずきさんとご一緒して、彼の体の柔らかさに感心したこと(あのころ私はひどい40--本当は50---肩に悩まされていた)や、塩谷信男先生100歳のお誕生日を祝う会が東名カントリークラブで行われた日、テレビ以外ではお目にかかったことがないゴルフ好きの超有名人(もちろん若いタレントさんなどはあまりいなかった)やプロたち100人と一緒でブッツケ・ミーハー(本来ミーハーではないと自認している)の私は舞い上がってしまったこと(なぜか大宅映子さんが印象深い)。日本で最初のゴルフコース六甲の佇まい、二番目に歴史がある雲仙でカラスにさらわれた6個のボールたち、もう一生超えられないと思うマグレの自己ベストが出た日、尾崎直道プロが雨中の日本プロ(オープンだったかな?)優勝を果たした小樽(これが男子プロのオーバーパーの日本記録)でのラウンド、海外でも過去に訪問した21カ国のうち9カ国ではラウンドした。それらのエピソードだけで本が一冊書けるだろう。-----そんなの誰ひとり読まないけどね-----
 色々あったが悲しいことにゴルフを誤解している人たちにも出会った。あまり筆は走らないから一例だけ書いておきたい。
 関越高速道路の東松山インターチェンジから15分位のところにある、当時出来立てほやほやのMカントリークラブであった事実の話である。20年ほど前のことである、私たちはそこでコンペを楽しんでいた。私自身はもう3度目でコース・レイアウトは頭に入っていた。バブル期に入っていてゴルフ人口全盛期という時代で予約さえままならなかった頃である。ここでプレーさせていただけるのも一人メンバーがいたからである。彼は若干問題ある人物で、最近750万円出して縁故会員で買ったんだよと周囲に吹聴していた。なにはともあれ、5組20人位の予約が成立したのだった。
 天気も良く自分にしては上々の滑り出しで8番目のホールの二打地点に差しかかっていた。グリーンを眺めてキャディさんとクラブの番手か何か相談していた。ふと見ると30メートルくらい向うのカート道路に一人人間がいて何か叫んでいた。どうも私に何事か言っているようだった。よく聞こえない、彼は近づいてきてこう言った。
 「サングラス、外してもらえますか」一瞬耳を疑った、プレー中だからなにかもっとプレーを早くとか、雷が来るのでという話なら何度か聞いたことがある。だが、サングラスを取れという話は聞いたことがなかった。私は先天的に目が弱く子供の時に軽い手術をしたが太陽光線には十分対応できないため、ゴルフを始めてすぐにサングラスをかけてプレーしていた、そう、すでに15年になるころだった。具体的に言うと空に舞い上がったボールはメガネなしでは捕えられないのである。どこに飛んでいくか一定しているほどの腕はない、眼鏡がないと球筋が分からないばかりか即ロストボールになる。それまでほとんどそのことに関して特に言われたこともなく支障なかった。そのコースでも過去2回は問題にされてない。「なぜっ?」と言いたかったが押し問答になると仲間が嫌な気分になるだろうし、後ろの組は女性が3人で(当時は珍しかった)大分私たちの組に迫りじっと様子を伺っていたので眼鏡を外した。こういう特殊な現場ではあまり自分のせいでプレーを遅滞させることはできない。納得したわけではないのであとで質問しようと思い「あなたはどちらさんですか?」と聞いた。私はキャディマスターですと言い残して彼は去っていった。
 昼食もそこそこに私はキャディマスター室に行った。そこで聞いた話はまたまた驚きだった。我々の後ろの組の女性はみなさんここのメンバーで、前の組にサングラスした柄の悪い(柄が良いとは思っていませんがこれは生まれつきなのでどうすることもできない)ゲストらしき人を発見し逆鱗(げきりん)に触れたようだ。そこで彼女(あるいはたち)は売店の電話を借りてキャディーマスターに電話したという顛末だった。キャディーマスターは「すぐに外させなさい!」とでも怒鳴られ、おっ取り刀で駆けつけたというのが成り行きなんだろう。私はあきれた、言う方も言う方だが聞く方も聞く方だと。「以前はそういうこと言わなかったのに、なぜ今日に限って?」など、さすがに温厚な私も質問を浴びせた(という程度ではなくもっと柄が悪く熱くなっていたかもしれない)が、埒が明かずにそこで話しても徒労になることを悟った。
 そこで考えた、どうもイマイチ納得できない、そうだ直接理事長に話そうとそのまま足を運んだ。立派な部屋に自ら理事長デスと称する方はおられた。こちらは頭を下げたが相手はそんなことはしなかったので悪い予感がしていた。いきさつを話そうとするともう耳にしているという答えが返ってきた。ではなぜサングラスはいけないのかを問うた、屋外であるからこそではないかと詰問した。理事長さんは話し始めた。要約すると「当コースはいかがわしい方の出入りをお断りし健全なコース運営をする。メンバーを大切にして快適なクラブ運営をする方針だ」それは結構な話だがどこでも同じような方向性は持っているし常識的だ。サングラスと関係ないんじゃないかと思ったし、サングラスをストレイトにその筋と直結させることには無理はないかなと思った。目が弱いので常日頃から野外ではなるべく目を保護するように努めている。今までもゴルフの時はサングラスをしていると話した。私はいつもたいしたウエアは身につけていない。相当安っぽいゴルファーとみたのか、そのとき理事長は明らかにせせら笑って答えた。「うちは格式あるコースなんです。基本的にゴルフを理解していないゲストはどなたであろうと歓迎しない」という主旨のことを話した。明らかに遊ばせてやってるという物言いだった。ちょっと待てよ、格式って言ったってこのコースまだできて1年ちょっとくらいじゃないのか、サングラスは目の保護なんだから格式とは別物じゃないのか、それにゲストを大事にするのが本来ゴルフクラブの本質じゃないのか。いろいろ言いたいことはあった、でも100分の一も言えなかった。理由は二つ、ひとつは心の中でもうここには来ないと決めていたから。もう一つはすでに午後のスタート時間になっていたからである。その日のラウンドは今でも釈然としないし楽しくない1日だった(せっかくコンペは優勝したのに…)。
 あの頃プレーしていた方は、ゴルフのスピリットや歴史さえ知らず、金儲けだけの目的で作ったコースが一山いくらとあるのをご存知だろう。公表している倍くらい会員権を印刷して売り抜き、濡れ手で粟の膨大な利益を得ていたコースも珍しくない。会員名簿が出せなく騒動になったコースもたくさんある。メンバーさえ予約が取れず、前月同日朝9時に、何度回しても電話が繋がらない状態が続いていた。会社にはその日だけゴルフ場予約専任の係りを置いたなんて笑い話のようなホントの話があった。ゲストはこうしたゴルフを知らない経営者たちに信じられないほど軽んじられていたことを思い出す。彼らにとってゴルフコースはお金を産むツール以外のポリシーを持たなかった、ゴルフから学ぶものなんてクソ食らえとでも思っていたんだろう。(その名残はまだ若干ありますね)
 我々のコンペを招待した前述の問題あるメンバーも同様だった。この男もバブル期にゴルフに嵌り、それがなんたるかを知らずにただ良いスコアを出せば良いくらいの認識しかなかったクチだ。このころまだ40歳くらいから始めて2〜3年だったんじゃないかと思う。重宝がられて何度一緒に出かけたことか。ちょっとおこがましいが、私なりに少しは初心者の手ほどきをしたと思っている。その男が「良かれと思って自分のコースに呼んでおきながら、こんな不快な思いさせてすまなかったね」とでも言うのかと思ったら、「一体何を考えてるんだ、会員としてのオレのメンツをつぶした上によくもヒトの顔に泥を塗ったな。巨人戦のチケットを渡したりしてせっかく関係を作ってきたのに、お前はもう出入り禁止だぁ!」とのお達しである。まぁ、2度と行く気は起きないだろうから出入り禁止もヘチマもないが、巨人戦のチケットまで持ち出されても面倒みられないよ。だから言うわけじゃないが(いや、言葉のあやだね)彼はその数年前、仕事上で身体障害者に理不尽な暴力を振るったことで週刊誌に取り上げられ、業界では大騒ぎになったことがある。また、都内某所の雀荘に入り浸り、高額の賭けマージャンをしていた。なぜ知ってるかというと、何回かそれを目撃したこともあるし彼自身が話したからである。ポケットからむき出しの万券100枚くらいの束をわれわれに見せびらかし、今日の稼ぎはこれだけと言って笑いながら自慢していた。我々は「おお〜っ」とか言っていつもびっくりさせられた。もっとも負けた時は静かにしてたんだろうが、その程度の人間なので返ってこっちも諦めがついたということもあった。
 日本の一部の人がゴルフを誤解している原因をあえて探すと、一因はその当時の<バブル期>にある。35年前、私に懇切丁寧にゴルフの基本を教えてくれた先輩のような人は少なかったかもしくはいても教える時間はなかったのだ。イケイケドンドンの時代はすべてがスピード違反だった。あっちこっちの会社でこんな会話があった。
「あのな、明日お客さんとゴルフなんだ、君も同行しなさい」と上司が部下に言う。
「はぁ?ゴ・ル・フですか?で、でも僕は道具もありませんし、、今までコースに行ったことはありません」と部下は言う。
「ウンウン知ってるさ、でも君は練習場に行ってるそうじゃないか、○○クンが言ってたぞ」
「ハイ、でも行ったといってもまだ3回だけですしとてもコースに出るなんて自信ありません------」
「3回?よし、OKだ。あのなお客さんの前であまり上手なやつは困る、君ならバッチリだな。さあ、帰りにゴルフショップに行こうか。私が見立ててあげる。そうだ、経費は部の備品ということで処理しようか」何がバッチリなのか、ルールもマナーもある程度会得し、最低限度コースに迷惑掛からないようなスコアで回る技量(いくつと言われると困るが、数ではなく常識的にはコースが詰まってないときハーフ2時間15分前後でリターンできるくらいと言っておきましょう)がなければゴルフ場に行くべきではないと自分では決めている。
 こうしてゴルフを誤解した人は雨後のタケノコのように増えてしまった。マレーシアに住んでいた頃、この話に典型的な人がいた。もちろん日本人で彼は私よりあとからペナンに移住してきた。当初は借りて来た猫のようで実に大人しい人間だった。ゴルフに誘ってほしい、体調に自信がなくて長距離運転するとめまいがするというので私は同乗させあちこち案内した。ゴルフは確かに上手だった、ドライバーが特にうまく60歳を超えていたが飛距離も出るほうだった。時間がたつとメッキは禿げてきた。自分のプレーに自信があるせいか多分に自己本位のところが露呈され、仲間からは敬遠気味だった。相当周りにブイブイ言い始めたころ仲間のコンペがあり私と同じ組で回ることになった。この頃は以前の話はどこへやら、かなり遠いコースも運転して出かけるし、態度もそれにつれて横柄になっていた。スタートして間もなく、彼のティーショットは左手のクリークに入ってしまった。私はティグランドから見て、ウオーター・ハザード内だと確信していた。行ってみるとたしかに水はないけれど、コンクリートの側溝のような作りでクラブは振れない、しかも芝生を焼いて赤いペンキが塗ってあるハザード・ラインの中だった(マレーシアではハザードにあまり杭を立てない)。さて、驚いたのはボールを拾い上げた彼、その処置の仕方を知らないでウロウロしている。まるで登別のクマのように。同様なことは直後のカート・パスでも起こった。その男の処置法はボールを適当な所に投げ出すことだった、1か所のマークもせずに。これは典型的な競技失格である。ほかのみんなはきちんと処理していたので、後日酒の肴になって非難を浴びる羽目になった。そのうえ、彼がボールを入れたバンカーを馴らしたのを見たことがないという話題まで提供して、一気に株を下げたのである。彼こそ、バブル期になにも学ぶことなくゴルフを始め、スコアさえよければ大威張りと勘違いした典型的なオヤジである。彼はその後1年位して自発的にKL(クアラルンプール)に引っ越したいうと知らせがすぐに耳に入った。 
 ついでだから最後にゴルフをしたことがない方に、なぜルールを知らないといけないかを簡単に。きのう書いた<中編>を読むと『ゴルフはすべて自分でジャッジするゲーム』(すべての審判を下すのはおのれのみ)とあります。ゴルフのスコアはひとホールごとに点と線で繋がっていて、そう、駅伝のタスキのようなもので、第一打を打ってスタート(インプレーと言います)してからそのホールでカップインするまでは勝手に動かしたり触ったりもできません。ましてや自分の有利になるような、たとえばライの改善とかは禁止です。ある人がルール上のボールの処置を知らないとする、すると誤った処置をする、結果、ホールカップにボールは落とせて一見そのホールは完結したように見えますが、それは架空のスコアで途中が繋がってないことになります。したがって途中で打数は途切れ正しいスコアの申告ができないと、タスキの繋がらない駅伝チームと同じで競技失格になります、ええ、ゴルフはすべてのプレーヤーに平等に厳しいんですよ、だから公正が保たれるんですけどね。
 いや、言い直しておきましょう、ゴルフのルールが厳しいんではなくて、それが当たり前のことだと捉えるべきでしょうね。そう、競うのはスコアばかりじゃないんですね、ゴルフって深いですよ。その意味では35年やってやっと<這い這い>から<タッチ>という世界でしょうかねぇ。

 ◆あとがき◆ 『私はオールドマン・パーを発見してから勝てるようになった』は非常に有名なボビー・ジョーンズの名言。オールドマン・パーはコースという大地のこと。日本風に言うと「敵は内にあり」とでもなるんでしょうかねぇ、なんとなく分かるような気がするけど------、いやいや、自分は一生これを理解できずに終わるということだけは間違いなさそうだな。