GOLFを誤解している人たち  中編

ゴルフコース


 そんなわけで私は約11カ月に及ぶ、先輩からの「ゴルフ基本講座」を受けた。人生の中でも特筆すべき貴重な体験であった。お酒を飲みながらのセミナーは3ヶ月くらい過ぎるとゴルフの本質論に入り、やがては日々の生活の中にある哲学(ちょっとオーバーだがそんなようなこと)の話に変わっていく。考えてみればそれも当然の成り行きだったと思う。(あの頃伺った話は、何度か似た話が顔を出したこともあって結構明瞭に覚えているし、忘れることはできない)
 たとえば「ゴルフって結構メンタリティな部分が結果と結びつくケースが多いんだ。技術を支配するのがメンタルだと言っても良い。ほら7番アイアンというクラブがあるね。人は時として力み、飛ばそうということだけ考えてしまう。それは深層心理の中に飛距離という必然的な選択肢がインプットされているからで、7番には7番の仕事をさせるという基本を思い出せば力む必要がないことに気づくはずなんだ。もっと距離が必要なら6番とか5番を持てばいいのさ。そのためにクラブはルールで14本持つことを許されている。
 大局的な言い方をすると、今向き合っているゲームの中で、実力に合った身の丈大のプレーができるかということなんだ。それがわかると心に余裕が生まれる、するとボールも自分の意志に近いものになる。一例を挙げればすごくドライバーの飛距離の出る人と一緒にラウンドしていて、自分も負けずになんて無理しても決して結果は期待できないだろうね。だから飛距離で戦えなければアイアンの精度、アプローチやパットで競うという風に切り替える。人はそれぞれアビリティーというものがあるんだ、磨けば光る何かがね。だからさっきの7番には7番の仕事を任せるという覚悟を養うためには、繰り返しの練習で7番の飛距離と自分自身が相互信頼を築き上げる必要があるということにもなる。
 さっき言った今向き合っているゲームという部分を家庭内に、あるいは仕事や人生に置き換えるとわかりやすいんじゃないかな。奥方にあるいは部下にできそうもないことを背負わせても結果が出せるかどうかは疑わしい、たまには良いかもしれないがね。自分が苦手な仕事を別な人間に押しつけたり逃げたりする上司っているでしょう、そういうのに限ってうまくことが運ばないとガミガミ相手を責める。7番アイアンの気持ち解るよなぁ。もっと言えばそれで人生(ゲーム)が楽しくなるかどうかということになってしまうんだよね」のような会話である。
 またある時は「ゴルフはね基本的に自然と自分自身との戦いっていう感じなんだよ。『すべての結果は自己に帰属する』ということと、『すべてはあるがままに』という精神が宿っている。またゴルフってプロの大会を除けば審判がいない競技なんだ。ジャッジはすべて自分でしなければならない。これは意外と大変なんだよ。普段の生活で自分に甘い人はプレーに出てしまう、隠せないんだよな、これが。仕事でもごり押ししたり、自分に有利にばかり行動するタイプはゴルフでも同じ、スコアを過小申告するのは当たり前、嘘をつくタイプは何の罪悪感もなく嘘をつく、イヤ単なる身に染まった習慣なんだな。自分はどっぷりとファールゾーンに巣くっていながら、他人様はフェアゾーンにいないと気が済まない。半分冗談だけどこういうのが世間で偽装に関わるタイプなんじゃないか。怖いんだよね、ある意味人間性が露出するゲームだから。
 断言するけど正直な人はゴルフに向いてて、そうでない人はコースに行かず練習場だけにしたほうがいいと思うよ。実際、正直に生きるっていうことは口で言うほど易しくはないけどね、せめてゴルフくらいはということもあるのかな。
 しかしね、誰も見ていないところで公正なジャッジメントをする習慣というのは、人間生活一般の最低条件なのかもしれないンだよ。それもすべては自分自身のためにね。ゴルフを楽しく遊びたいから学ぶべきは学ぶ、自分という個体を引き下げるものはすぐに飽きる、すこしでも高めたいからゴルフをするという一種の循環は必要なんじゃないかな。改めて意識なんかしないけれど、少なくともそう考えてゴルフをしている。
 ゴルフの祖国イギリスではゴルフで誤魔化しをする人は社会的に全ての信用を失くすんだ、どんな地元の有力者であろうと銀行の頭取であろうと抹殺だね。おそらくこんなこと日本人は信用しないだろうな、ゴルフで地位を失う?そんなバカなってね。文化度の違いだね」。
 「文化度の違いと言えば日本人に欠けているのはモラルとかマナーとかいうやつだね、もちろん全部じゃないけど多いんだよそういう人、優れた品性の持主も結構いるんだけどさ。マナーっていうのはその人の基本的な教育によるものでなかなか治るもんじゃないんだね。よく<お里が知れる>なんて言うけどそれさ、日本人のお里が出ちゃうんだよ、ルールで誤魔化す話しと同じさ。もう何度もそんな人見てきたなぁ、特に成り上がりの金持ちは始末が悪い、手段なんか選ばない生き方だからここまで来れましたと顔に書いてあるんだ。
 驚くなよ、今まで見た実例を話すと、ハーフが終わって洗面所に行ったらいきなりそこにあった手を拭くタオルで靴を拭いたのにはびっくりしたなぁ。別な人は他人のパットの時、およそ3メートル後方のライン上に腰を屈めてジッと見てるんだよ、グリーン上は平気でスパイクの引っかき傷を作ったりさ、人がアドレスに入ってもおしゃべりはするわ他人のパッティングラインは平気で踏むわ、ボールマークなんて絶対修復しないんだ。パー3ホールで前の組のプレーが遅いと『ハリー、ハリー』とか言って大声を出すんだよ。それもまだかわいい方で、ある偉い人(会社で受注したビルの施主と接待ゴルフした時のことらしかった)は自分のスコアが悪かったのをキャディさんのせいにしてさ、プレーが終わってからパターを投げつけてその子を怒鳴るんだよ。泣いてたなぁ彼女、可哀そうだったけど何も言えず辛かったよ。
 マナーっていうのは決して難しいことじゃないんだ、ゴルフのスコアに比べたらね。結局普段なんだよ、普段。君もねバンカーに入ったら荒らした後をきちんと直すんだよ、それも、自分が荒らした後だけじゃダメなんだ、他人の残骸でもそうすべきなんだよ。なぜかって言うと、もし自分のボールが未修復でたとえば他人の足跡なんかに嵌っていたらどんな気持ちになるかね?そこを読み取れないようでは知的なゴルフというスポーツに参加する資格はないね、そして、自分が他人の分まで直してやったなんて思わないことさ、モラルってそんなもんだと思っていたら間違いないよ」。
 そういう教えが延々と続いた。私は教育は国の基と確信し以前にもそう書いてきた。良い教育は文化度の高さと洗練された人格を国民に齎(もたら)す。(この辺はいろいろあって長くなるので割愛)私は先輩から「ゴルフ」を媒介とした教育を受けた。先輩の人間性と品格の高さは少なくとも私にとって非常に大きな影響を与えてくれた。おかげさまである程度の認識は齎されたと思っている。齎されたものはいまでも過去に受けた学校教育の100倍以上にも感じる。心からの感謝に堪えない。-------- それほどのことを教えてもらってもこの程度の人間にしかならなくてゴメンナサイ。でもそのご教示を受けてこの程度止まりということは、もし先輩に教えていただかなかったら思うと我ながらゾッとする-------
<次回へ>