Who am I?

Air plane and Moon


 私は今「Who am I?(誰なんだ?オレは!)」に強い好奇心を持っている。いや、急に持ち始めた。こういった知識の量というか幅とか平均とか普通とか世間並というのはあるんだろうか?他の多くの人たちはみな精通してるんだろうか。こういった知識とはつまり、自分自身のルーツとか血筋とかそういったものです。
 自分が今この世に存在するということは、祖父と祖母が4人、祖祖父と祖祖母が8人過去にいてくれたのは間違いない。では血を分けた祖先はどんな生い立ちを持ち、どう生きてどんな風にどこで人生の終息を迎えたのか。私自身がそれを知ることで現世の居場所というか自分の生の流域が見えるかもしれないと考えたのだろう。----- 実際はそんなこと知らなくても生きていくのに不都合はないんだろうが-------
 なぜ急にそんなことをと言われてもうまく説明ができない、本当に数ヶ月前から突然、前触れも意味もなく気になり始めたのだ、<還暦>という道標(みちしるべ)のなせる技かな。あるいは何かのきっかけがあって反省の念がそうさせたのかもしれない。つまり(他人に比べて)自分の場合はあまりにも家系を知らない、疎すぎるということに気づいたのだろう。母方の祖母の名前は知っているがそれ以外は言えない、まして祖祖父母に至ってはお手上げである。まぁ、昔のことで祖祖父母のことは若干許せるのだが…。
 少年時代から写真を見せられ何度も名前を聞かされ、何度かはお会いしているはずなのに名前さえ出てこない。父方の祖父は明治時代を近衛兵として皇居や高田馬場周辺で生きたことは父から聞かされ、大きなモノクロ写真が勲章とともに実家の、これもまた大きな柱時計の脇に飾ってあったのは覚えている。でも名前が出てこない。10年前に相次いで亡くなった両親の実家は親戚に売り渡して今はない。私自身も故郷には高校までしか住まなかった。ほとんどは忘れ去ってしまったのだ。おそらくこんなひどい人間は世間一般の人から蔑まれるレベルなんだろうか。このことに目覚めたのは、60年前、枕元に仕掛けた見えない目覚まし時計が鳴り始めたと考えるしかない。だがそれを知ったからどうするということはない、自分の居心地のためにただ知りたいだけである。そもそも好奇心というのはピーターパンに出てくるティンカーベルのようなものだ。
 いままでは実家の墓参りをしてもそうしたことに興味がわかなかった。若い時は前へ前へという勢いで過ごしたせいだろう。前ばかり見て後ろを振り向くことはなかったのだ。墓石の一つ一つをじっくり眺めたり、書かれたことを書き写したこともない。もちろん、住職に頼んで過去帳を調べようとも思わなかった。だから最近目覚めた好奇心は60年を生きた年齢からくるものだけではなく、親戚で自分を知る人が次々に亡くなっていく環境が私の背中を押している。いずれにしても最近はご無沙汰していた方々にやたら電話しまくっている、関係する土地に飛んでいきたい衝動に駆られる、これが実に刺激的な作業なんですよ。乾いた砂浜に満潮の潮が少しずつ染み込んでいるかのような充実を産む。この「Who am I?(オレ探しの旅)」は正直、ポーの「モルグ街の殺人」の探偵デュパンになった気がするくらい面白い。