阪神ー巨人戦 報道されないイ・スンヨプの見苦しい行為

TigersFujikawa


 私はプロ野球ファンである、日本中に数千万人いるそのひとり、しかも熱烈な。ーー少なくとも自分ではそう思っているーー
 少年時代は、川上、若林、スタルヒンなどあまり良く知らない選手たちのメンコで遊び、以前も書いたように父が私のために作ってくれたマイ・ラヂオ(ラジオではない)に耳を傾けて憧憬を深めていった。やがて近所の家にテレビが入り、中学生時代にはトランジスタ・ラヂオを肌身離さず持って歩いた。稲尾、金田、杉下、藤田、野村などが活躍すると小躍りして喜んでいた。1958年、神様・稲尾様が日本シリーズをでんぐり返したときもこれで聞いていた思い出がある。
 東京に住んでいる頃は年間30試合近く後楽園球場に足を運んだ年もあった。後楽園球場の解体が決まり東京ドームになるという最後の試合も、球場とお別れだからと息子を連れて観戦に行った。たしか大洋ホエールズとの一戦だったように記憶している。打たなくてもいい長打を打った投手の遠藤一彦さんが、二塁ベースを回ったところでアキレス腱を断裂した。(その時は捻挫でもしたかと思ったが…)しかしプロ野球選手のサガは恐ろしい、痛みをこらえ片足でケンケンしながら三塁に向かった。そして塁上に倒れこんだ姿を見て胸にジーンときた、息子もじっと見ていたのを思いだす。彼は名投手だったが翌年から成績を落とした。しかし、須藤監督時代に抑えを頼まれ、見事に蘇った。佐々木主税にバトンタッチするまでは彼が守護神だった。
 当時は多くの子供たちがそうであったように巨人が好きでたまらなかった。逆に巨人をいじめる国鉄スワローズ金田正一(まさいち)さんは大嫌いだった。ずっと後だが、亡くなったパリーグ事務局にいた若きパンチョ伊東さんと、当時のプロ野球についてずいぶん長話をした思い出もある。パイレーツを辞めた桑田真澄投手とは、なにか小さな座談会のようなものがあって同席したことがある。それから、これも自慢にはならないが東京ドームで3回も試合をした、とにかく野球が好きなのだ。
 ここ数年、プロ野球界は厳冬期を迎えている、あれほど面白い国民的スポーツ(と、勝手に思っているんだが)が、地上波テレビでも放映されないなんて非常に悲しい。まぁここ数年、色々あり過ぎたがきっと国中が注目してくれるスポーツに復活すると確信している。 
 7日〜9日にかけて東京ドームで行われた巨人ー阪神戦はすごいゲームだった。まさに生死を決する戦いであることは戦前からわかっていた。今までも息ができなくなるようなゲームは歴史にあったが、それらに勝るとも劣らない内容だった。9月25日までにはあらからの結果が見えてきそうな今年のペナントレース、この三連戦は言葉で言い表すほど生易しいものではなかった。結果は期待に違わぬ壮絶な試合だった。こんなゲームが一年続いたら選手の大半は外科病院に送り込まれるだろう。プロ野球連盟は「選手の数が足りなくなったため明日からの試合は中止します」なんて言い出すかもしれない。実際、この3試合は選手も200%の力を出し切ってベロベロに疲れたろうと思う。見ていても良く体が持つなぁと感心していたくらいだ。特に3試合ともすべて一点差なんて、ドラマの脚本だってなかなか書ききれませんぜ、ホンマ。
 私にとって今は特定の贔屓(ひいき)チームはない、個々の選手で好きな人は結構いる。日本ハムの稲葉はヤクルト時代から、中日の立浪、ロッテの里崎、巨人の矢野と阿部、ソフトバンクに行った多村、ヤクルトの青木など上げるとまだまだ続く。そして巨人のイ・スンヨプ阪神の藤川もシビれる選手である。イ・スンヨプは選球眼が抜群に良いことと、マン振りしないでスタンドに運ぶ芸術的なアーチは他の選手では無理。あれは努力なんかではなくて、生まれつき持ち合わせた才能だろうと思う。
 藤川球児については何も言う必要はないだろう、誰でも知ってるから。2000年以来昨年まで322回2/3投げて404三振、防御率2.23、今年だけ見ると昨日までで登板61試合で5勝 2敗、40S 防御率0.87とくればもう日本に右にでる抑えはどこにもいない。あれだけ腕を振り、同じフォームで155キロのまっすぐと130キロ台のフォークを投げ分ける。あれじゃ打てませんよ、さしものメガトン級(古いなぁ、もう死語じゃないか)ジャイアンツ打線だって。
 藤川球児は技術的にもすごいが、実は彼は頭が良い、話を聞いていると良くわかる、その上精神的に強い、マウンドに登った時の集中力は見ていてこっちが息苦しくなる。長い間、プロ野球を見続けてきて良かったと思わせる選手の一人である。

 と、ここで終われば何のことはないのだが一つだけ苦言がある、相当ガッカリしたことだから忘れず書いておく。
 私はもちろんこの3連戦、プレーボールの一球目から、審判の手がゲームセットを告げるまですべて見た。一年のペナントレースはこの3連戦のためにあると言ってもいいくらい大事なゲームだったからだ。タイガースは6月に12ゲームも置いていかれた最下位から、前日首位になるというメイク・ミラクルをやってのけた。一日天下にはしたくない。一方ジャイアンツはこの日を落とせば自力優勝の目が消える、4月12日以来前日まで下に落ちたことはない、全力で勝ちに行く以外道はなくなっていた。
 死闘は第三ラウンドも続き、延長10回に入っていた。なりふり構わず負けられないジャイアンツは連投の上原を投入した。本来抑えというタイプではない上原には少し無理があった。二塁にランナーを置いて鳥谷が前進守備の右中間を真っ二つに割って三塁打、続く(守備専任と言っても良い)藤原が高めのクソボールを少年野球の選手のようにぎこちなく当ててライト線に落した。結果的にこれが致命傷になる。
 その裏、10連投はセの記録になる藤川は堂々とマウンドに向かった、誰もが終わったと思った。彼はこの日も落ち着いていた。しかし先頭の清水にレフト前に運ばれる。少し横道にそれるが、ここはどうしても解せない、全くバッティングになってない清水に2ストライクと追い込んでから、ベルト辺のストレートを打たれたからだ。変化球にはからっきし打てない清水になぜまっすぐを?まっすぐなら高く放れば清水は困ったろう、上から叩くバッターだから。そもそもなんでフォークを投げなかったんだろう、結果は何とも言えないが変化球に弱い清水はきっと打てなかったろう、捕手の矢野は分かっていたろうから藤川球児の美学が出たんだとしか思えない。
 さておき、藤川は自分で窮地を作ってしまった、2点差だったからホームランであっという間に同点、7回にも2点差にしてこれで…と思ったが、すぐ二岡の19号2ランで追いつかれたばかりだった。巨人打線はどこからでも長いのが出る。
 藤川は少し動揺していたのかもしれない。吉伸を打ち取って矢野の時ワイルドピッチでランナーをセカンドベースに自ら運んでしまった。矢野を連続三振に討ち取った直後の小笠原にレフト前に痛打され一点を失う。もう後がなくなった。藤川から一点を取ることがどれほどすごいか、それは一塁側のベンチを見ていればよくわかった、ジャイアンツは明らかに色めき立っていた。小笠原は代走の鈴木に代わってベンチへ。そしてなんとなんと、手負いのジャイアンツは続くイ・スンヨプのとき掟破りの盗塁を----、これが成功してしまうから流れというものは恐ろしい。藤川の顔や髪の毛からバタバタと汗が滴るのをカメラが大写しにしていた。

 今日ここまで書いたのも、何のことはないここからの数行のためだった。事件はここで起こった、このことは今日買って読んだスポーツ紙3紙にも詳しく書いてない。また余談だが、最近野球の悪い部分は解説者も言わない、スポーツ紙にも書かないという不文律が現存している。彼らは同じ穴の貉(むじな)なのでお互い庇い合い傷を舐め合っているが、これは実に悪しきことでプロ野球の体力を弱めるだろう。もっと真実を語らねばプロ野球の発展性はない。
 とまれ、藤川投手を良く知っている人なら彼が投球モーションに入る時、どういう風にポーズを取るか思い浮かべることができる。左半身(はんみ)の態勢からキャッチャーを見る、心が決まると少しお辞儀をするような振りをして静かに右手をグラブに入れる。これが藤川球児の決められたルーティーンであり、未来永劫(と予測している)に繰り返される集中モードだ。静かな集中から感性はどんどん高まり、やがてロケットが発射するが如く空にボールを放つ。もちろん、イ・スンヨプだって知りぬいている。 
 その時のカウントは1-2(たしか)だった。球場中が凍りついていた。ここまで何度も繰り広げられてきた巨人の粘り、そして同点劇、それどころか歓喜の逆転サヨナラがあるんだろうかとだれもが想像していた、ましてマウンドにいるのはタイガースの藤川である。そのとき自分はどんな顔をしていたんだろうか、たぶん誰にも見せられないマヌケな顔だったと思う。ひょっとするとよだれでも垂らしていたかもしれない。
 藤川はいつもの通り、いつものタイミングで集中モードに入りいつものように少し腰を屈めグラブに手を入れようとしていた。その時だった!バッターボックスのイ・スンヨプの左手が少し動いたがまだなにが起こったのかわからなかった。彼の左手はバットを離れ、掌の平を広げ審判に向かっていた。藤川は構わず投球モーションを継続する。イ・スンヨプは左手以外ボックスの中では体のどこもピクリとも動かない、打ちに行く姿勢のままで動いているのはまるで別な生き物のように左腕だけがゆっくり水平に審判に向かっているだけだった。どうやらタイムと言ってるようだったが口も眼も動かず藤川を見ている。もちろん、藤川投手からその手は見えにくい角度に違いなかった。左バッターの頭で隠れる位置だったからである。
 一瞬の何とも言えない『間』があった、球場中が静まり返ったように感じた。次の『間』で審判が両手を広げ「タイム」を宣した。いや正確にいえばたぶんそういっただろうと思う。ところがこの場面、疲れもピーク、極限状態の集中力でボールを今まさに投げようとしていた藤川は投げる瞬間、審判が目に入り投球をかろうじて止めた。
 何が起こったか確認する前に、私は彼が腕をどうにかしたんじゃないかと心配した。ところが、藤川の腕は壊れなかったことがすぐわかった。藤川は切れた、集中が怒りに変わったボールは藤川の手を離れバックネットに叩きつけられた。テレビでこのときの彼の顔のアップが見たかったが、カメラもあっけにとられたのか、まったくパンがないまま映像は流れていた。スタンドはざわめいていた。岡田監督が飛び出してくるかと思ったが彼は考えがあったのか出てこなかった。この試合の中盤でイ・スンヨプが一塁上でシーツにスパイクされて何か言ったため、両軍が集まり一触即発になったことも影響していたのか、、、わからないがとにかく試合は続行された。私は藤川に熱くなると相手の術中だぞと叫んでいたが、それは取り越し苦労だった、彼はこの試合を勝利で収め、試合後のインタビューでこう言った。
 「おもしろかったよ、ホンマにしんどかったけど、見ている人は楽しいやろなー、と思って投げていた」と、世界が違うね。
 後味を悪くしたのはこの日から4番に座ったイ・スンヨプだった。打つ構えをしながら審判にタイムを言わせるのは卑怯、藤川の集中を切るならバッターボックスを外すべき、大きな声でタイムを言えばモーションに入っていても藤川は許すだろう。卑しくも巨人の4番がプロ野球でやってはいけない汚い卑劣な行為である。相撲で髷を持って投げても禁じ手になるのと同じだ。まして、日本中でどのくらいの人が見ていたか知らないけれど、球場に残った何万の観客は砂をなめたような味が舌に残ったに違いない。せっかく緊迫した場面で藤川に無言の暴力をふるった罪は軽くない、もちろん私は彼に失望した。もちろん審判はバカだ、投球動作に入っているときはあのまま投げさせるのがルールだろう、でも主犯はイ・スンヨプ本人だ、ボックスを外さず構えていながらタイムなんて確信犯と言っていい。結果的に彼は、力道山に立ち向かった悪役を演じてしまっただけなのだ。
 藤川も嫌な思いをしたろうが、そんなこと億尾(おくび)にも出さず、5時間4分の激しい戦闘が終わったばかりの戦場で爽やかなヒーローインタビューを受けていた。それがあったから3試合すべて見届けた私も救われた。ジャイアンツは100%の力を出したのに勝てなかった、多くの選手は拍手したいほどよく戦ったが、タイガース野球に及ばない見えない何かがあったのかもしれない。結局、タイガースは勝つべくして勝ったのだと思った。各チームあと20試合前後、こんな生死をかけた戦いが続く。