おいしいお米と栗ご飯

もうすぐ秋


 新米が出始める季節が来た。私も純日本人のひとりとしておいしいお米には目がない。そりゃいままで人並み程度に「絶品」というものもいただいてきた。その中でどうしても一つだけに絞れと言われればやはり魚沼産の新米だった。これは別格だったなぁ。
 東京で仕事をしていたころ、部下に魚沼出身の女の子がいた。小柄で若い娘の割にあまり口数の多い方ではなかったが性格が良く、笑顔が可愛くておいしいお米のせいか土地の水が良かったのか色白で肌のキメの細かさが目立ち、彼女の笑い声は日々職場の雰囲気を明るいものにメイキャップしていた。
 丁度今頃の時期だったかな、彼女が新潟の実家から私にお米を送りたいと言ってきた。彼女が魚沼出身であることはとっくに知っていた。うれしかったが儀礼的に「えっ、ホント、でも悪いんじゃない、君ん所本場の魚沼でしょ、貴重なお米なんだろな、いただいていいのかなぁ」。私は時として心にないことを口走る、本当は欲しくて仕方ないクセにすぐカッコつけようとする。「今年は出来が良かったんだそうです。自宅で食べる分のおすそ分け程度なんですが…」と彼女は言った。
 1週間ほどして新米は届いた、しかも10キロ。あの当時は食べ盛りの子供が二人いたので10キロは絶妙の量だった。まず見た目で米そのもののみずみずしさが素晴らしい、日にちをおいては味が落ちるしとぎ過ぎてはいけない、洗う程度にとどめる、いつもは使わないミネラルウオーター(国産に限る)で早速炊いていただくことにした、電気釜のスイッチを入れてからは炊きあがりが待ち遠しかった。
 茶碗に盛られた新米はそれはそれは穏やかな湯気を立てていた。一粒一粒が独立していてキラキラ輝いているかのようだった。粒と粒は少しでも接触しているとしっかりした連結を構成していた。それでいてあまりべたべたした感じはない。恐る恐る箸ですくうとその数十粒が新たな湯気を立てる。なんだ、この香りは!今までも新米はいただいたがこれほど地べたにほおずりしたくなるほどのものに出会ったことはないぞ。そっと口に運ぶとなんと口の中に甘ささえ広がるではないか、糊化したでんぷんがまろやかな甘みを醸し出していた、これは驚きだった。味の確かさを確認するようにゆっくり噛むと、モチモチした感じと米粒固有のコクが私の舌を占領してしまった。基本的に米のご飯は味が薄いものだ、しかし、あのキレは忘れ難くおかず抜きでもいけそうな味を口にできたのは幸運といって良いのかもしれない。 
 千葉県北東部に多古町がある。この自然豊かな町で「幻のコメ」が栽培されている。『多古米』と呼ばれ品種はコシヒカリ、千葉県の水田のたった2%しか耕地面積がない。したがって県外に出ることも土地の人も容易に手に入らない逸品である。ずーっと以前その話を近所のおばさんから耳にしていた。「あんた、千葉に来たらなんたって多古米よ、多古米を食べなきゃね、ハハハッ」、ウム、了解、チャンスがあったらぜひ食べたいなと思っていた。
 女房が地元のママさんコーラス・グループに入ってる。10日ほど前、その仲間から電話でその多古の新米が手に入りそうだというグッドニュースが飛び込んだ。私は、いや正確には私たちは飛びついた。そして今日、30キロの多古米がついに届いた。早速、近くのスーパーで5キロだけ精米した。ちょっと失敗して標準精米をしたが、きっとこれは70%くらいが適当なんじゃないかと思う。次回はそれも挑戦してみよう。
 いくら良いコメでも炊き方が悪ければ本来の実力は出せない。プロゴルファーの道具でも私が使ったらボロボロになる例えがわかりやすい。本当なら昔ながらの羽釜があれば最高なんだけどなぁ。胴周りにタガのようなつばが付いているアレ。熱の回りが良いようにできていて、中の米粒すべてにまんべんなく火が通る。
 昔の人は偉かったねぇ、ハイテクはなくともそれに勝る知恵があった。落語に米の炊き方の口上が出てくる、「始めちょろちょろ中パッパ、ぶつぶつ言ったら火を引いて、赤子泣くとも蓋取るな」ってね。
 一日置いて明日は多古米がわが家のテーブルに初見参する、今からワクワクである、おいしいに決まってるが万一期待はずれだったらこのブログでそれをネタで書こうかな。
 例によって散歩していたら栗の木に実がたわわに生っていた。そういえばこの散歩コースは久しぶりだ、ちょっと来ないうちにずいぶん様子が変わる、ちょっと撮っておこうとバシャバシャやっていたら急にお腹が空いてきた、いつか栗ご飯でも食べようか。