「リタイアの達人」〜しみじみと船旅のつもりで…私的考察

大型クルーズインハワイ


 このところなんとなく忙しいというか気忙(きぜわ)しい、自分なりにスローに生きるという、本来あるべきリタイア後のペースが少し狂ってきた。おかしいな、でもどうってことがない小さな用事が集中的に集まっただけという感じもあるのが救いかな。基本的にリタイアしてから忙しいというのはいけないことだと考えている。
 来客とかたまのゴルフとか小旅行の計画など個人的な用事に加えて最近は野暮用が多すぎる。たとえばCANONがレーザープリンターのVISTA対応が遅れてご迷惑をおかけしたお客様にプリンター用紙をお送りしていますと言ってきた。なんだか怪しい話だな、なんとか詐欺じゃあるまいか、もっとも自宅の電話はユーザー登録の時に伝えてあるから電話自体は掛かってきてもおかしくはない。でも念のためこちらからCANONに問い合わせ間違いないことを確認した。たかが紙を250枚程度受け取るだけなのに、、断ってしまえば一番簡単なのだが、根がケチである上に「紙」には独特の愛着があっていくらでも欲しがる性格だからややこしい。やれやれ、面倒な世の中になったものよのう。個人情報がこんなにワァワァ言われない時代はもっと右から左に簡単だったはずだと思うと一層歯痒い。
 郵便局が手紙を送りつけてきた。なになに、<…郵政民営化に伴い、ご加入いただいている簡易保険につきまして重要なお知らせがあります。ぜひお伺いしてお話しいたします。つきましては同封の返信用紙にご希望の日時をお書きになり投函してください。ご指定の日時に担当者がお伺いします>みたいなことが書いてある。そういえば思い出した、極めて小額なのに一口入ってることを、誰かの義理で20年も前に入ったんだっけ。どうせ、駆け込みでもっと増額してくれっていうことなんだろう、無理だよ、え〜い面倒だけど来るっていうんだから来てもらってこの際キッパリ断っておこうか。
 TOYOTAが車のタイヤを取り換えましょう、今はキャンペーン中でたいへんお得ですと電話してくる、近くにおいでの際はぜひお寄り下さいだとさ、そろそろ取り換えねばなぁ。熱帯魚の水は三ヶ月おきに砂まで出してそっくり取り換えることをもう何年も規則正しく繰り返していて、その総取っ換え日が迫っている。この夏の暑さで参ってしまった猫の額のような庭の芝生も手入れしなければ、、もう砂も種もたっぷり買ってあるのに台風が来ていたので手つかず状態で放ってある。図書館に本を返さねばならなくなっていたり、来週は女房殿の免許証更新につきあうことと私のアテロームの手術(手術といえるほどのものではないが一応…)も控えている。そろそろ床屋か、、爪も切らねばならない、机の前の鉢植えのスパティに水をやらねば、グルコサミンがそろそろ切れるので注文せねば、、、あ〜ぁ、、落ち着いて本読んだり絵を描いたり驚くほど安い(コーヒー一杯飲めば二時間タダでガナれる)カラオケに行ってくる時間もないし、最も楽しいDVDの編集も滞ったままだ。なにより自分は公園の芝生の上でぼぉ----っとしている時間が好きなのに、、あぁ憂鬱。
 そんな中、郵便局から電話が来る。おっと、今日うちに来る日だったっけ?いや、おかしいな、調べてみたらそれはもう5日も前だった。結局、彼ら約束を取り付けながらすっぽかしゃがった。まぁそれはそれでいいか、すると何の用事だろう、なに?私が送った荷物の受け取り手がご不在伝票に返事してこない?あとお預かり期限は三日です??そんな、、先月末に送ったのに。相手先に電話すると「あった、あった、ありました。早速郵便局に電話します」とのこと。聞いてみると友人宅は都内のマンション、集合ポストの底に<ご不在伝票>がへ張り付いていて気付かなかったらしい。郵便局も入れっぱなしではあまり気が利かないよね、ポストの底にあるなんて想定しないんだろうか。こっちに電話する暇があるなら宛先に確かめればいいものをと思う、なんのために相手の電話番号を書いておいたのか意味が判んないよ。郵政民営化にはエフェクティブな考え方が必要不可欠だな。

 一般的に(定年などで)仕事からリタイアすると、次のような経路を辿るケースが多い。まずはとにかくハシャぐ、長年夢見てきた『自分の時間』がそこにあるのだ、それは限られた量であって太平洋とは比喩できないが、満々と湛えた手賀沼の水のように思える。だからまるで首輪を解かれた犬のようになる。しばらくはこれでよろしい。やがて初心者マークが取れるようになり、すこし慣れてくると時間が余るようになりたまらないほど退屈を感じる、まして現役時代から趣味の少ない人は即そうなる。ここからが大変、家でゴロゴロするようになり奥方に邪険にされ身の置き場に困る。粗大ごみ扱いにも耐えられなくなり、ボランティアなどの仲間探しもうまくいかないとなるとますます余った時間の消化に苦労する。昼寝ばかりして過ごすため夜寝つきが悪くなり不眠症気味になるという悪循環も経験するでしょう。
 しかし、必要は発明の母、大方の人はそんな経験を重ねるとア〜ラ不思議、ある日突然生き生きと自分の時間を生かせるようになる。これはその潜伏期間やメタフィジカルな出会いなど個人差が激しいのであまりうまく説明できない。まぁ、言ってみれば本人の努力次第であり、世間にはやることが山ほどあることに気づくのである。自分はどのように与えられた時間を有効に過ごすべきかが自然と見えてくる。ことここに至って初めて「リタイアの達人」と書かれた扉の前に立つことができるのである。
 今日の朝日新聞日本将棋連盟米長邦雄会長(何度かお話を伺った)が「余生という言葉は嫌いだ、余った人生なんて…云々」という記事があった。お言葉ですがもっと違う見方もあるんではありませんか、、私はそもそも、「余生」は余った人生ではなく心に余裕を持って生きるの意味であると考えている、(ちょっとカッコつけたが)。どういう受け取り方も個人の自由であるがこの場合、ポジティブに考えた方が楽しい、どう足掻いたところで死ぬまでは生きるのだ。だから余生とは言わずセカンドライフと言うことにしている。また、忙しいという字は心を亡くすと書く、これではせっかくの余生は送れない。お金はなくても時間に余裕があれば何とか楽しく生きられるものである。現役時代を飛行機か新幹線に乗って過ごした人たちは、リタイアすることでクルーズに乗り替えたつもりになり、のんびり、しみじみ船旅に出るくらいの気分になればそれで良いのである。