何とお応えして良いのか…

微笑ましいカモのファミリー


 昨日の稿などに対し、お読みいただいた<夏目ソーセキ様>からコメントをいただいた。本来はそちらの欄でお答えするべきだと思うが、今回は失礼がないように本編に書かせていただく。
 真摯にお書きいただいた通り承りたいが、過分なお言葉を頂戴したことで恐縮しているのが本音。そもそも、こんな軽い、拙い、社会の役に立たない文章を晒すだけでも気が引けている。最初からMSのアウトルックでも開いてメモ程度に書こうかと思っていた。毎日アタマに日付でもくっつけておけば何とか日記としての体裁もつくではないか、愚にもつかないいい加減な文章を他人の目に留まるインターネット上に公開することなど不必要だと自問自答もした。
 ブログを作ったということは自分の力量にシンクロしない自惚れがあるに違いない、自分を世間に暴露したがる露出狂的な性癖かあるいは硬軟取り混ぜた反応をビクビクしながら待つ被虐的な人格の未熟性も考えられる。まったく意味を持たないヒロイズムや他人から見たら一文の値打もないナルシシズムも…。付け加えるなら日々衰える体力に対する恐怖心、確固として進軍する老いは少しづつ私を鬱に導いている。大した中身のない人間ほど多少の背伸びをして、大阪人が言うところの「え〜カッコしー」を拠り所として生きる。それがむしろその人間の支えになるという事実もあるのだろうが…。どれもこれも自分にとって当たらずとも遠からじなんだろう。

 「陰」の部分ばかり書くとまったく盛り上がらない話になってしまう。帳尻合わせに「陽」も書きたい。三つある、まず父親からの引き継ぎだ。約10年前旅立った父は私と性格が正反対で几帳面な男だった。その父は晩年の介護施設に入る直前まで、30年以上も日記をつけていた。大学ノートに文字通りビッシリ書かれた数十冊のノートは母親が後を追うように亡くなった時焼いてしまった。
 奔放に生きてきた私にはそんな真面目さはかけらもない。しかし、60歳になって急にそのことが浮上した、理由は分からない。これが一つの大きな契機になった。次に、自分には死ぬ前にやりたいことがある、世間的に言うと<夢>かそれに近いものである。何かと聞かれても他人から見て大したことではないとしか言えない。最後はまさにボケ防止の一環である。「人生は死ぬまでのひまつぶし」は山本夏彦さんの有名な言葉だ。55歳で仕事社会からリタイアした人間はできるだけ有効に死期までの時間を過ごしたくなるものである。

 天国の父とは高校卒業までの付き合いだった。その後は東京での学生生活を皮切りにずいぶんいろんな所を転々としてきた。「親孝行、したい時に親はなし」、今さらじゃないがずいぶん親不孝したものだ、自分ほど駄目な息子もそうザラにはいないだろう。それでも時折、気まぐれに帰る二男の息子を父は笑顔で迎えてくれ酒を酌み交わした。結構いろんな話もした。もちろん父は私の目の前で毎日「日記」を書き続けていたことは知っている。父の死後、日記を群馬の主のいない実家(母も施設にいた)で古くて埃を被った電灯の下でひとりきり、一冊づつ丁寧に開きつつ読ませてもらった。男と男だけに通じる何かを感じた。ただ、不思議なことに生前父と日記の話をした記憶がない。
 最近思う、父親によく似てきたなと、顔やしぐさや日課的なことまで。いつものように勝手に指がキーボードを叩き、脈略のないブログを書く自分の背中を押しているのはこれらの陰陽があるからだと思う。蛇足だが、ネーミングは吉田兼好に対する反逆的精神がパロディーになった、いつかこれもじっくり書きたいと思っている。

 「え〜カッコしー」を拠り所として生きる人間にも好きな曲がある。エリック・クラプトンの「My father's eyes」、ちょっとカッコつけたが、実はコレ私の次男坊が好きな曲で彼から教わったようなもの。今夜は60歳になって知ったコーヒーという飲み物を飲みながら久しぶりに聴くことにしようかな。

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