MERDEKA (ムルデカ)

ペナン州の旗


 今日は、マレーシアが<独立(ムルデカ)>を勝ち取った記念日である。しかもその50年後に当たるという年で、イベント大好きなマレー人たちでKL(クアラルンプール)では大変な騒ぎになっていることだろう。ペナンとて50周年となれば似たような大騒ぎだろうが、それに比べると少しは大人しいかもしれない。やはりKLから少し離れていることと、何より華人系の人が島の3分の2はいるので、本当の植民地からの独立の喜びを共有しきれないところがあるのかもしれない。ただ、マレーシアは政府の力が異常に強い国である、島の中でも政治的な祭事が盛大に行われ金もばらまかれていることだろう。私もその国にお世話になった一人として心から「Selamat Merdeka!」と言いたい。
 日本にはあれほど国民が熱狂的に喜ぶ祝日はない。占領下におかれたことはあるが歴史上植民地化された経験を持たない。他国民が銃器を持って侵入し、先祖伝来の土地を人を富を凌辱されるのは想像するだに嫌悪感がある。マレーシアは長い間その苦しみを強いられて来た。
 50年前の独立時にはシンガポールが含まれていた。1963年9月16日マレーシア連邦が成立、1965年8月10日にもともとマラヤ連合から外れていたシンガポールが独立という紆余曲折を経た。私がペナンにいたころ、コンドミニアムのセキュリティと「ムルデカ」と言って祝ったことを思い出す。当時それがどれほどのものであるかを学ぶために読んだ文献が今でも手元にあり、マレーシア独立の経緯が詳しく書かれている。バッサリ略して書き残しておく。

 16世紀から始まったマレーシアの他国支配はポルトガル、オランダ、英国と続いた。そしてついに1941年12月7日、日本軍がコタ・バルに上陸、以後1945年8月15日日本がポツダム宣言を受諾し終戦を迎えるまで占拠、その後1957年8月31日のムルデカまで英国が植民地として再支配した。
 そもそもマレーシアを再植民地にしようと目論んでいた英国は、1945年10月10日にマラヤ連合案を決定した。それはどんな案かというと、当時の海峡植民地(ペナン・マラッカ・シンガポール)、マレー連邦州(ベラ、バハン、セランゴール他)、マレー非連邦州(ジョホール、ケダ他)を廃止、シンガポール以外を統一してマラヤ連合とするものだった。それによりスルタン(土着的国王=たしか9人くらいいるがペナン州にはいない)の権限を小さくする、それぞれの地域別の行政はすべて英国人が行う、人種にかかわらずマレーシア国民に平等に市民権を与えるというものだった。
 スルタンを中心に生活してきたマレー人たちはその案に対し強い危機感を抱く。すぐに各所で反対運動が勃発、とうとう全体の41団体をまとめ、KLでのマレー人会議も行われるに到った。それに対し英国は強硬で合意に難色を示すスルタンを直接訪れて威嚇するなど強引に推し進めた。
 マラヤ連合案への反対強化はさらに広がり、英国人知事の不承認、7日間裳に服して抗議するなどとなった。運動拠点の組織もUMNO(今もマレーシアの第一党)と改称、マレー人としての主権やマラヤの真の独立を求めていった。
 アジア各国の植民地的支配から逃れるとき、多くのゲリラ闘争が見られる。マレーシアでもアジア共産主義青年会議の決議からついに共産ゲリラが立ち上がった。英国は非常事態を宣言した。
 余談だが当時はペナンでも英国から赴任していたガーニー卿が狙撃され、死亡するというゲリラ事件も起こった。その時傍らにいた奥さんをまず安全な場所に救ってから戦って死んだことを讃え、ずっと後になって通りの名前を「ガーニー・ドライブ」としたエピソードもある。ペナン島とて実際のゲリラから無縁ではなかったということだった。
 その後も様々な動きがあったが、英国で法律を学んで帰国したケダ州のスルタンの子息でアブドゥール・ラーマンが出現し、独立交渉団を結成したりして時間は掛かったものの1957年の独立に結実させることができた。英国に乗り込み3週間に及ぶ交渉を成し遂げたのは、やがてマレーシアの初代首相となるまだ53歳の英雄ラーマン生涯の大仕事だった。
 50年前のこの日、KLのムルデカ・スタジアムに集まった感動的な数え切れない市民の前で彼は言った。「独立はより大きな努力への第一歩だ、すべての国民に新しいマラヤへの献身を求める」と。苦難と屈辱の終焉を迎えたマレーシア国民の気持ちはいかばかりであったか、戦争を知らないうえに「国家的独立」を経験していない私には想像さえできない。
 マレーシアの国旗は白赤青、三色の組み合わせはイギリスの国旗にルーツがある。月と星はイスラム教を、黄色は王朝を表し、14本の線と星の角は独立時の州の数である。今はシンガポールが独立し13州となったため1本が連邦そのものを意味している。(写真の手前がペナン州の旗で奥が国旗)

 日本の近隣に北朝鮮という国がある。2002年1月29日の一般教書演説でアメリカ合衆国ブッシュ大統領が、北朝鮮などを名指しで「悪の枢軸(axis of evil)」と呼んだ。まさにその通りで、他国民を平気で拉致し国家的に利用するなんてテロ支援国家くらいのなまなかな言い方では収まらない。日本中で蛇蝎のごとく嫌われるのは当たり前のことである。
 ところがである、同じブッシュ大統領が8月22日、ミズーリ州カンザスシティーの演説でこんなことを言った。「戦前の日本はまるで国際テロ組織アルカイダに近い国際テロ国家だった」。冒頭から貿易センターに飛行機が突っ込んだ事件の話かと思ったらそれが実は日本の真珠湾攻撃の話だった。自国の実績誇示か、失敗と言えるイラク戦争を正当化しようとしているのかわからないが、米国の勝利があったからこそ今の日本の民主化があると結んだというのだ。おいおい、日本を北朝鮮と同列に言うなよ。
 全く日本のことを分かっちゃいないなと思ったが、マレーシアまで侵攻して一時的にでも植民地化したことを思うと、おバカなアメリカ大統領に反論する気力が萎える。