負けるが価値

祝・1,000敗した大先輩


 基本的に人間は負けず嫌いにできている。これが逆になっては世の中おかしなことになるのでそれが正常なんだろうな。
 日本は戦争に負けたことを未だに引きずっていて外交がやりにくい、安倍総理は最初の国政選挙で負けて半死半生になった。今日は今日とて跳ねっ返りの小池百合子氏に、「私、もう防衛大臣なんかやってられませんからね」と三下り半を突き付けられたらしい。総理がまだ組閣をこれからというときに新米防衛相がそれを言うかね?自分が省内人事で<大臣の負け>となったのが機嫌を損ねたか、学芸会でお姫様の役をもらい損ねてわがまま言ってる程度の話に聞こえる、もう増長を絵に描いたよう。それともたくさんの政党を渡り歩いてきた兵(つわもの)大臣は、自民党を泥船と見限ったのかな?それにしても総理は選挙に負けたツケで相当舐められているようだ。そんな例を山ほど見ている一般大衆はますます負けることを嫌う。

 ところが世間は広い、負けた数が勲章となることだってある。将棋の元名人の加藤一二三九段がついに1,000敗目を喫した。将棋ファンなら誰でもわかることだが、これはすごいことで勲一等ものである。67歳になっても順位戦はB級2組に在籍し、若手棋士を相手に未明に至る激戦を闘い、虎視眈々と名人位を狙っている。当時歴代最年少の14歳でプロ(四段)になった、名人とA級に36期留まっていた、1,000回負けるということは1,000回も敗けられる位置で活躍したということになる大変な名誉だ。順位戦は鬼の棲み家と言われ、プロの将棋指しは5割の勝率があると一流である。加藤九段は1,000回負けて1,262勝しているから勝率5割5分8厘ということになる。勝負の世界で勝率が悪い人はどんどん消えていくからすごいの一言に尽きる。対局数は亡くなった大山康晴十五世名人を抜いてトップを更新中、その大山名人は加藤九段を「神武さん」と呼んでいた。神武以来の天才ということを敬意を込めて言ったのだろう。
 どのくらいすごいか、軽々に他の世界と比較はできないが、プロ野球のピッチャーが50歳近くまで一軍で放るようなものとも言えるかもしれない。

 加藤一二三九段は野球のミスター長嶋さんのように、数え切れない伝説を持っている。
 敬虔なカトリック教徒で洗礼名は<パウロ>、対局中に賛美歌をハモルのは常時、あるとき対局中に上の階に上がり窓をバーーーッと開放し外に向かって朗々と讃美歌を大声で唄った。
 天才加藤九段は終盤の秒読みに極端な早見え早差しが得意だった。しかしキリスト教徒であるがゆえに付けられたあだ名の「一分将棋の神様」が気に入らない、神様はいやだそこで「私を一分将棋の達人」と呼ぶように懇願した。
 「一分将棋の達人」は残り一分になっても記録係に「あと何分?」と聞く、「あと一分です」と答えが返る。それを何度も繰り返して記録係が完全に切れた。
 好きな言葉がたしか「直感精読」、常に最前の一手を考えるため、将棋が始まって間もなく六手目に二時間近い長考もしたし、一手に七時間を掛けたこともある
 今の将棋連盟会長の米長邦雄さんとは反りが合わなかった。ある時、米長さんとのタイトル戦で「外の滝の音がうるさい、止めてくれ」と言って周囲を困らせたり(実際宿屋側で止めたらしい)、加藤九段がやたら膝立ちしたり長ーいネクタイを上げたり下げたり、おまけに空咳を連発されて集中できず頭にきた。でも米長さんは加藤九段の読みの深さには敬意を表していて「加藤さんが読んだあとは将棋盤に穴があいている」と評価したこともあった。
対局中、大好きなうな重を昼も夜も注文したり、十数本のバナナを房からもがずに平らげたり、板チョコを二枚重ねてバリバリ食べたりした。
 対局中、考えている相手の後ろに回って盤面を覗き込むクセがあったが先後同型のときもやっちゃった。

 以下、長嶋ワールドのようなエピソードを書いていくと際限がない。しかし、将棋に真摯な探究心を持ってることでは右に出るプロはいないだろう。長男が生まれた時も順位戦で一位だったからと「順一」と名づけた。今は奥さんと四谷の教会で若いカップルの人生相談の相手をしてると聞く。クセは実に個性的だが決して憎めない、尊敬すべき将棋界の長老である。自分も昔は追っ掛けで、将棋会館には頻繁に出入りしいろんな祭事に参加してたくさんのプロと会うことができた。今は海外に生活して縁遠くなったこともあって、森下卓九段と年賀と暑中見舞いのやり取りくらいになった。
 加藤九段にはこれからも頑張ってほしい、60歳過ぎの将棋ファンにはあこがれの星だ。柏には石田和雄九段という、類まれな人柄の良い、将棋の普及に尽力されているプロが道場を構えている。一度は行かねば。