酒の功罪 相半ばなのかなぁ

タクシー乗り場は盛況


 今日は「飲み会」で柏駅近くでしこたま飲んできた。日記を書いている今は日付変更線を跨いでいる。中華の紹興酒から始まってビールとウイスキーの水割りというからラインはおよそ定まっていない。(以前、酒をガバガバ飲んでいるとき一番好きなのは焼酎の赤ワイン割だった)「食事会」と言わず「飲み会」というのがおかしい。
 しかし、俺のような人間は結構いるんだろうか?普段は飲まない、家の冷蔵庫に来客用の缶ビールがギンギンに冷えている。暑い日に風呂から上がってナイターを見る時もビールに手を出さない。そんな人間が「飲み会?」こんなときだけ浴びるほど飲む。42年間飲み続けた酒を、大した動機もなしにある日突然プッツリ止めた。気まぐれもいいところだ。でも気まぐれで酒が止まるか???自分でも変なのは酒をやめたことを自慢したがっているということ、今まで少し意志の弱さに対して後ろめたさがあった証拠。しかし少しでも「酒」を好む人は言うだろうな、あんたは酒の味や周囲の雰囲気がわからないだけだよと。
 天の邪鬼な性格で止めてみたら何が見えるか興味はあった。結局、お酒があるいはビールがおいしいと感じるのは最初の一杯だけだということがわかってしまった。知らなければ惰性で飲んでいたのに。少し酔ってしまったらあとは何を飲んでも同じ、適当にマイクを片手に好きな歌でも歌っていればよろしい。時間はすぐに過ぎてあっという間に「サア、帰りましょ、割り勘で一人いくらいくら」と言われる。世の中にお酒以上に楽しいことはたくさんあるという証拠だ。特に今日は新鮮な新しいメンバーに会えて超ご機嫌で帰ってきた。少し酔っているが心持が良い、いつもの仲間って良いもんだ。
 考えてみれば日本中でお酒を飲まなければずいぶん世の中は変わるんだろうな、良くなるか悪くなるか分からないが、少なくとも酔った上での凶悪犯罪や酒飲み運転は必ず消えるし、国の医療費負担額がぐっと下がる可能性があることだけは必至だ。麻薬はだめだが酒は良いというのも中途半端な気がする。でも、今さらどうすることもできないんだろうな、止めてみてよくわかる。

 ひと駅だけ電車に乗った。駅に着いてふ〜んと思ったことがあった。20分後に来るバス停に人が並んでいなくて、タクシー乗り場に行列があった。景気は確実に回復していると思った。一か月前、同じ場所に来てみたが全く逆だった。庶民の生活の中にこそ投資に役立つ情報があるものだ。

 それにしても日本人はきちんとしている。長い行列は一糸乱れぬものだったが、最終のバスに乗ったら中では皆さんが何か新しい宗教がごとく一様に携帯を広げてみている。私には異様な光景に見えた。