今度は「一日一恥」

Zurezuregusa2007-07-18


 またまたやってしまった、、<日々の恥は掻き捨て主義>で、毎日何かしらドジを踏む私としてはいつものことで取り立てて驚くことはない。むしろそっちのほうを心配したほうがいいのかな。

 期日前投票という実に便利なシステムを利用するため、近くの市役所出張所に出かけたらまだやってないと言われた。始まるのは22日からだったというお粗末。
 実はこれには誘因があった。16日、祭日を忘れていた私は別な用事で市役所へ出かけた。玄関の扉は開いており蛍光灯が灯いていて人が出入りしている。矛盾など微塵も感じない私は中に入って「おや?」と思った。いつもの案内嬢、いや案内おばさんがいない、、左手にはロープが張ってあって奥にはいけない。右手に人がいっぱいいる、よく見るとそこが<期日前投票所>、しまった、今日は祝日だったとやっと気づく。ドジを踏んだがそこで得た情報はもう期日前投票ができるということ。
 
 市役所がオープンしてるんだから他だってという思い込みが失敗に誘った。そういえば恥をかくことの多くは「思い込み」がキーワードになっている気がする。よく調べないことが原因なのだ。一日一恥はボケてきたからというより、もう20代から続く個人的な伝統である。もう治る見込みはない。

 それにしても、選挙なんてアバウトなものだとしみじみ思う。地方選挙はまだしも国政選挙は特にそうだ。候補者の一人として入魂な方がいるわけでもなく本当の性格や考え方を知る人はいない。立会演説会に行くほど熱心になることもない、投票日直前に少しは資料を調べてと思っても、インターネットでは限界があり、選挙公報はもう資源回収に出してしまったあと、仕方ないから投票所の前で看板を眺めて決める。会社や組織に関係があればそちらから推薦も来るが無職では手掛かりはない。
 立候補者の中には、政治に一命をかけるほど熱心で才能と熱意にあふれる人がいる一方、その反対にあいつにだけは投票するんではなかったと後悔させてくれる屑だっている。政治家もいれば政治屋もいて国のためになんて考えるより自分の生活のためにと、適当なことを言って調子を合せている人もなかにはいる。昨今は閣僚に上りつめた人物さえ、ぼろぼろと衣の袖から本性がこぼれ落ちてるザマは実に見苦しい限りである。有権者にとって真の候補者を見極めることは極めて難しい。
 投票する有権者の半数以上はその人物がよくわからぬまま<政党>というオプションだけで決めている。選ぶほうも選ばれるほうもアバウトになるのは自然の流れか。そのアバウトさに沿って日本という川が今日も適当に流れていく。