一日一飯

野菜をどんどん食べよう!


 特段自慢になる話でもないが、「一日一飯」を貫いて一年半になる。貫いて…とは言ったが、完璧ではなく中途半端な部分がないわけではない、しかし日々の9割はキープしている。
 「一飯」は夕食のこと、結構しっかり食べる。朝は紅茶だけ、昼はヨーグルトとかリンゴやバナナのような果物を食べて終わり。おやつでお煎餅とか和菓子など滅多なことでは口にはしない。
 
 一念発起した原因はやはり体重、ぐうたらな生活をしていると体重計の針は日ごとに上がっていく。肩や背中、腰といった大きな筋肉が痛みゴルフの疲れなど取れにくい。もちろん体重以外にも遠因はあるんだろうが、人間、適正体重をキープするというのが健康維持の基本中の基本に決まっている。過去、40代前半だったが自己最高記録達成した頃、偶然かどうか知らないが病気で入院した経験もある。そう、今から一年半前もギネス更新を狙う体重クンがチャンスを伺っていた。

 そんなある日、聖路加国際病院日野原重明名誉院長がテレビで紹介されていた。見るともなく眺めていたが、先生自身の「一日一飯」の話が始まってガバと座りなおした。
 明治44年10月4日生まれというからあと3年で白寿になられる。私の亡くなった父親と同年である。ご多忙を極めしばらく先の予定もぎっしり、わずかな移動時間は原稿用紙に向かい、日々の睡眠時間は4、5時間どころか月に何回は徹夜までやっちゃうそうだ。恐れ入谷の鬼子母神

 私はかねてから、食事は三度三度きちんとバランス良くというジョーシキを持っていた。 どうも話が違うぞ、先生の一日を追っかけてカメラが付いていく。朝は軽くトースト一枚くらい。時によっては奥さんと半分コしている。
 午前中は講演会に行き終わった後の昼食は牛乳を一杯だけ、それも歩きながら。それに控え夕食はブ厚いステーキにパクつく健啖さを披露され、メリハリの利いたお食事を紹介していた。精力的に毎日動く先生の栄養補給法を知って唖然とした。
 なんでも良かれと思ったことはすぐに飛びつく単純な私が先生の真似をしないわけがない、翌日からすぐに開始した。最初はきつく苦しい日々が続いた、が、慣れれば成れるものでやがて細君が私の目の前でおいしそうにそうめんを召し上がっておいでになってもなんということがなくなっていった。むしろ「ふん、どんどん食べて豚におなんなさい」と冗談をいう余裕がでてきた。

 結構自分でも感心するくらい続いてきた、経過は実に良好だ。やはり日本人は<豊食と大食>のレベルが高い。周囲が皆そうなのであまり感じないのか。6年前、家族でアナハイムのディズニー・ランドやユニバーサル・スタジオを訪ねた。あのときばかりは米国人の男女関係なく、とんでもない体系にびっくりした。おいおい、それじゃバスには乗れないだろうな、、という輩ばっかり。自分も心に傷がある、思わず目を背けたくなった。ついでに国の経済が好調だと国民は超ファットになることを知った。

  今はあまり無理な我慢はせず、ゴルフに行ったり、例外的な日は軽い昼食を摂るようにしている。でも、そう沢山は食べられなくなった。年のせいもあるのかな。夕食も量的にも質的にも質素を旨としている。そのため、細君に食費をあまり渡さないようにしたら実に効果的だった。食べる量が目に見えて少なくなったと確信している。
 そもそも、昔の日本人(今の年配者)は戦争体験もあったが、基本的に粟や稗ばかりとは言わないが今から見ると極端に質素な食事で生き抜いてきた。生き抜くだけではない、世界のトップクラスの長寿国にさえなっている。そのことを鑑みると、多くの方はカロリーの高いものを必要以上に召し上がっているのかもしれない、、いやいや、他人はともかく自分はますます抑えるところで抑えなければいけないな。