「エイセイメイジン」の重量感

現役の「プロ棋士」という肩書を持っている人が現時点で157名ほどいる。昔は将棋指しと呼ばれる遊芸人だった。賭け将棋で生計を立てる真剣師のイメージが悪く、私が子供のころ将棋を指していると親に叱られた。「勝負事ばかりしていると親の死に目に会えないよ」などと言われ、駒や盤から遠ざけられたものである。
ところが立派で特殊な才能をもつ人たちに安定した収入を与えたい、同時に古い歴史を持つ将棋を文化として社会に存続させたいという機運が高まり、千葉県の関宿(せきやど)出身の関根金次郎が大正十三年、東京で将棋連盟を立ち上げた。その後、曲折を経て「日本将棋連盟」となって今年がちょうど六十年目、人間でいえば還暦である。
関根金次郎の偉いところは、棋界発展のために自身が第十三世名人なのに私利私欲を捨て、実力名人制度を作ったことだろう。初代の名人位は弟子の木村義雄が就いた。関根の努力も実り、今や新聞棋戦などからの収入で1億円プレーヤも出現し、世界に日本しかない高い文化度を認められ、社団法人日本将棋連盟文部科学省文化部芸術文化課の管轄下に置かれている。

 6月28〜29日、その将棋界の頂点を極める大一番があった。第65期・名人戦第7局である。将棋の棋戦は細かいのまで入れると十種以上ある。あるが、ほかの棋戦をすべて合わせても釣り合わないのがこの名人戦である。対局料や賞金で見れば竜王戦などが匹敵するが、棋士が眼の色を変え生活をかけるだけでなく「命を賭ける」のが名人戦である。背景には語ってきたような歴史があるからだ。この棋戦で棋士たちは縦一列の序列をつけられ、名誉も地位も収入もすべてが決められる。目を血走らせる由縁である。

 通常の名人戦も年に一度きりということもあり、熱い戦いが繰り広げられわれわれファンは大盤解説会まで足を運んで夢中になる。ところが今年はもうひとつ特別な意味があった。
 名人は将棋界の頂点と書いたが、実はもう一つ別格の冠位がある。それが永世名人位である。ただでさえ難関な名人位を5期獲得すると与えられるもので、冒頭で話した実力名人制になってたった四人しか出ていない。木村十四世のあと、第十五世名人が大山康晴、第十六世名人中原誠、第十七世谷川浩司と続き今の名人位保持者森内俊之が今年その五期目に当たっていたからである。
片や名人戦初挑戦の郷田真隆九段は初挑戦で闘志を燃やしていた。彼はプロ、つまり四段になってまもなく王位という棋戦で優勝し世間をあっと言わせた天才肌の棋士である。話題に事欠かなかった。

 森内名人3勝2敗で迎えた第六局は青森県八戸市で行われた。終盤で必勝形になった名人はごった返す控室の棋士たちやテレビで見ていたファンに、永世名人の称号を手中に収めたかと思わせた。
ところが事件は起こった、名人が一手甘い手を指したのである。控室がどよめいた、、、「名人になにかが起こった?」。
 プロたちは勝ちの局面になるとよく「震える」と言う。頭が白くなって思考力がはっきり落ちるのだ。谷川浩司九段(現在)が言う。
『負けたら下に陥落するとか勝ったら相手を下せるなどという場面では、プレッシャーがかかった人間はなぜこれほどひどくなれるのか』と、幾多の経験を積んでも解決できないことを話していた。
あれほど沈着冷静で顔色一つ変えない森内名人にも目に見えない強烈なプレッシャーがあったのである。永世名人を取れば人生が変わるといっても良いし、ここで落としたらもう一生つかめない可能性がある。武士(もののふ)森内も永世名人の重量感に耐えられなかったのか、とうとう大逆転で六局目は負けてしまった、その日は眠れなかったろう。

数日後、第七局は愛知県蒲郡市で行われた、もう後はない。
二日目の午後九時過ぎ森内名人が優勢になった。いや、もう必勝の形勢だった。ところが郷田九段も決してあきらめない、これさえ勝てれば自分が名人になれる。粘りに粘って森内名人を楽にさせない、第六局のこともある。お互い後には引けなかった、そこからはまさに死闘だった。
そしてとうとう決着は着いた。郷田九段が少しお茶を口に含み、ゆっくりとした口調で「負けました」と告げる。森内名人が防衛し引退後に第十八世永世名人の称号を名乗れることが決定した。
終局直後、たくさんの報道記者が狭い部屋にどっとなだれ込んだ。部屋が急に騒がしくなったが、二人とも放心状態にあった。
マイクがまず森内名人に向けられた。ところが記者の質問に答えが返ってこない。妙な間があった。しばらくして声にならないような声が聞こえた、何を言っているのか定かではなかった。目が潤んでいたが涙は落ちなかった。私が少年の頃、ものすごく怖い思いをして家に帰ったとき同じように声も涙も出せなかったことが脳裏に浮かんだ。
勝ちの局面になった名人に、目には見えない将棋の歴史という強烈な重量感があったのだろう。頑強に抵抗する相手の手に、また逆転されたかという思いが駆け巡ったに違いなかった。同じ三十六歳の羽生善治三冠さえ四期で足踏みしているのに自分が一歩先に永世名人になれた、小学生のころから争っていた相手にも意識が行ったのかもしれない。
かくして今年の名人戦は終了した。昨今はパソコンソフトが人間に迫っている。だが、生身の人間が指す将棋文化の良さが味わえ、またひとつ将棋が好きになった。