めくるめく野球も変わる

野球のエッセイ


 今からおよそ30年を遡る1978年はプロ野球ファンにとって忘れられない出来事があった年だった。


 10月22日、神宮球場のスタンドはめちゃめちゃ盛り上がっていた。それもそのはず、セ・リーグでは唯一優勝経験のなかったヤクルトが中日に勝ち、球団創立29年目でついに優勝を決め、しかも堂々と日本シリーズ第7戦に駒を進めたのだから大騒ぎになるのも当然だった。スコアボードにはヤクルトが入れた1点のみ、試合は6回裏まで進んでいた。


 ワンナウトでマウンドに立っていたのは阪急ブレーブス足立光宏投手、バッターボックスには大杉勝男選手が向かった。たしか2球目だったと思うが、下手投げの足立のボールはシュート回転して真ん中高めに入ってきた。足立投手は「しまった!」と思ったろう。
 スタンドの観衆は餌を運んできた親鳥を見上げる雛のように、秋晴れの空を一斉に見上げた。バットのまっ芯で捉えたボールは弧を描いてレフトスタンドに消えた。線審は大きく右腕を回転させ「ホームラン」を告げた。その瞬間、大杉のシリーズ第3号となった。しかし、飛距離は十分だったがポール(Pole)の真上で実際に微妙な角度だった。
 阪急の上田利冶監督は猛抗議した。午後2時54分、歴史に残る日本シリーズの抗議が始まった。抗議はその後1時間19分続いた。当時の線審はフェンスを背にして真上を見上げての判定だから、ポール(Pole)のどちらを通過したかなんてわかりっこない。誤審の可能性もあるし、そもそも阪急の名将上田監督が涙ながらに猛抗議するなんて、よほどの自信があったのかなとも考えた。
 結局、真実は闇の中だったが判定が覆ることもなかった。最後は広岡(だったかな)ヤクルトが優勝し、阪急の上田監督はシリーズ後に監督を辞任した。この年はクラウンライターというチームが西武グループに買収された年でもあった。


 さて、時代はめくるめく変わり、2007年11月6日、米大リーグゼネラル・マネージャー(GM)会議がフロリダ州のオーランドで行われ、ホームランの判定に限定したビデオ判定制度の導入を25対5で可決した。まだ導入の時期は決まってないが、GMの総意としてコミッショナーに導入要望書を提出したという。


 これでフェンス際やポール(Pole)ぎりぎりの際どい本塁打の判定は正確さがぐっと高まるだろう。打球がポールのどちら側を通過したのか、ファンの妨害があったのか、フェンスのどの部分に当たったのかなど明確に確認できる。
 とっても良いことだと思う。ストライク・ボール、アウト・セーフも機械化できる技術はある、野球の味がなくなるという意見もあるが、間違ったジャッジで試合が進むのはもっといやだ。どこかで間違えて試合が進んでも、それはウソのゲームに過ぎない。早くそうしてほしい。常日頃、日本の審判は下手だと思い知らせれているからかもしれない。
 こんな良い決定が早くからなされていたら、上田監督の抗議はなく、歴史は大きく変わっていたろう。何とも言えない気持ちがする。


 ついでにもうひとつ、この日のGM会議では試合の迅速化も議題になり、投球間隔12秒の厳守、打者が打席を外す回数の制限設定まで決定した。(参照=9月10日・報道されないイ・スンヨプの見苦しい行為)
 やはりアメリカは野球の母国だ、「ファンが楽しめる野球」というコンセプトに向かって全員が全力を尽くしている。ここが日本と逆だ。
 日本から見れば随分テンポの速いメジャーリーグだが、まだテンポアップしようとしていることに感心した。最善な環境を、それもファンのためにという点で、日本のオーナー会議は全く遅れている。もっとも、お金には目ざといが全員が野球オンチでは仕方ないのか。
 私は巨人の阿部とか矢野のようなキレのいい選手が好きだ。友達に巨人の豊田が嫌いなやつがいる、確かにテンポが悪すぎる。飲み屋でテレビを見ていて、その友達が途中でトイレに行って帰ってきたらまだ1球しか投げてなかったので笑い転げた。あれでは味方も調子が出ないんじゃないかな。豊田投手の一球ごとの儀式は相撲の仕切りよりまだ悪い。それに、今度の決定で、彼はメジャーリーグに行けないことが決定したね。