酒のはなし

日本酒


 誰でも自分のこんなところが変、というのはあるんだろうが…
 私は筋金入りの「酒飲み」である、いや、だった。

 18歳で酔うことを覚え爾来40年間切らしたことはなかった。正確に言うと急性肝炎で入院してから退院した後の半年を除けば。誰はばからず「休肝日?そんなの意味ないよ、返って逆効果だろうよ」と話していた。
 特に20代30代は浴びるほど飲んだ。一度だけだが神田の駅前で寝込んでしまって、パトカーに拉致され例のトラバコにお世話になったこともあった。朝、目覚めたら自分が檻の中にいて面食らった記憶は忘れてない。私は酒で前後不覚になったことはその時を含めて若い時分から2〜3度しかなかった。酒には強い体質だったのかもしれない。つい最近まで自分は一生酒を飲み続けることを当然と考え、改めて意識する必要を持たなかった。

 そんな私がピタッと酒を止めた。6月5日のことであった。伏線ときっかけがあった。
 まず伏線は3年ほどマレーシアで暮らし2年ちょっと前に帰国した。帰国して驚いたのは酒気帯び運転に対して非常に厳しくなっていた日本だった。考えてみればそれが当たり前のことなんだが…。罰金が数倍になり禁固刑も増幅されている。その後は例の福岡や千葉の悲惨な事故が連続して起こり、危険運転致傷という重い罪が出現した。このトシで刑務所には行きたくない、まかり間違えても酒を飲んでは運転するまいという意識は以前にも増して高揚していた。
 6月に入って間もなく予期せぬ夜の来客があった。駅は遠くないが年配者だ、迎えに行かねばと思ったがその時はすでに焼酎を少し口に入れていた。困った、仕方なく駅待ちのタクシーで来てもらった。無理して運転すればそんな時に限って事故を起こす、後悔したくなかった。酒なんか飲まなければ問題ないのにという考えが頭をかすめた。

 5日になって少し体調の悪さを感じた。すこし無理な作業を睡眠時間を節約して続けたせいだった。ふっと浮かんだのは酒を控えようかという考えだった、前述の連想連鎖があったのかもしれない。これは今になって思えば実に大きなきっかけだった。
 3日ほど…のつもりが体の調子がいいので長引いてきた。ごくごく自然の流れだったように思う。

 一滴も口にしない日が1か月続いた。7月5日、飲み会があった。お互いの利害が薄く、気のおけない楽しい仲間だ。この日は浮かれてしたたか飲んだ。微薫を漂わせて帰宅したのは深夜だった。これで禁酒とおさらばかなと思いつつ就寝。

 ところがどっこい、自分でも不思議なのは翌日夕方になっても酒を飲みたいと思わないのである、何か別なものを飲んでいれば気が済んだ。なんといい加減な酒豪だったのか!毎日そんな調子で過ごし、やがて飲まないのが基本形になっていった。

 昨日、また飲み会があった。もう飲めないというくらい飲んだ、実に楽しい仲間だ。このところバイオリズムが最悪で、気分的に滅入っていたがそんなことどこかへ吹っ飛んでしまった。酒は憂さを忘れさせてくれる。
 飲んでしゃべっている途中、ふっと気づいたことがあった。グビグビおいしそうに飲んでいる私を見て、仲間が怪訝な顔をしていることに気づいたのだ。そうか、みんな家で飲んでないなんて信用していないな、さもあろう、これほど飲んで食ってるんだから、、まぁ、あえて反論せずにおこうとおとなしく楽しんで帰宅した。

 実際、自分でもこんなことができるのかと首をかしげる、今までの42年間は何だったのだろう。しかして今は何でこんな液体を飲み続けたのかなと疑問に思い始めている。この現在の体調の良さを考えると、いままでのお金をかけて体を壊す行為はアホなことだった。還暦過ぎて気づくのかねぇ、こんなこと、気付かないで一生終わったほうが良かったかな。
 先輩に若いころ酒乱になり、医者から<肝硬変寸前です、酒を選ぶか命を選ぶかふたつにひとつ>と迫られ、夫婦で都内の断酒会に通っている方がいる。先日聞いたら30年近くなってもまだ夫婦で行くのだそうだ。普通のガラスコップになみなみとオールドを注ぎ、一気に飲んでいた方は断酒の仲間と意思を共有していないと決意が破たんするのだそうだ。そんな人を見ていると自分という人間がますますわからなくなる。

 昼の喧騒な選挙カーは押し黙り、町は静かで酔客が集まるネオンサインだけがやけに元気だ。
 昨夜集合した酒場までは電車でひと駅、帰りの電車は飲んで帰る会社員で溢れていた。百年一日の如く、毎晩かっちり繰り返される光景だ。今夜は自分もその仲間か。
 電車を待つ間、マレーシアの友人がふっと浮かんだ。あの国には日本のような電車網はないしムスリム(敬虔なイスラム教徒)が6割いて彼らは決して酒を口にしない、もちろん一生。こんな光景を見せたらなんていうかな、、などと想像していた。

 さすがに夏だった、深夜ではあったがレールの敷石とホームのコンクリートに昼の暑さが染み込んでいた。弱い風が吹くたびにその熱は立っている人をモワッと包む。終電車は酒の匂いを充満させた「臭電車」であり、酔ってドア付近に座り込んだ若い女がいる「醜電車」でもあった。